墓参り

2006年08月15日 風の戯言


 今日は終戦記念日。
 当時3歳だった幼児体験から言えば「敗戦」と言う記憶が強いように思う。みんな悔しがっていたし、アメリカ軍が雷みたいなもの、多分タンク–戦車に乗って攻めてきて日本人みんなが殺される、だから裏の横穴に隠れよう、みたいなことを大人達が真剣に話していた記憶が残っている。
 今日小泉首相の靖国神社参拝については明確な考えが固まっていない。自分なりの考え方を固めるべきなのだろう。

 13日、お墓参りに行ってきた。
 南鯖石の実家のお墓。石塚家15代の先祖の眠る墓地も今年改装し立派なお墓になった。
 次は柏崎共同墓地の佐藤家のお墓。親代わりであり、子供のころの一番の理解者であつた佐藤秋雄兄。現職の医師会長でガンにやられた。今年33回忌。
 最後は女房に実家のお墓。西永寺さんの改葬で表側に鎮座し、山田家9代の栄華を語っている。

 自分の墓も考えないわけではないが、いまだ信ずるに足る宗教に出会わない。「ユダの福音書」を読みながら、早く自分の宗教を確立すべきだと思う。人はどうしても救いが必要なのかどうか、まだ良くわからないのだけれど・・・。

満月の夜

2006年08月09日 風の戯言


 今日は8月9日、長崎原爆の日。
 キリスト教を信奉するアメリカ市民が、同じキリスト教信者の多い長崎を何故爆撃したのか、心の凍る思いがする。
 何万人もの同胞が焼き殺されて、今日は平和を祈る日。
 中国や韓国なら毎年暴動に近いデモが繰り返されるのだろう。憎悪の連鎖を断ち切り、一切を己の罪として背負う日本人は馬鹿なのか、地球上で一番神に近い人種なのか。アメリカの占領政策が成功したのだ、という藤原正彦「この国のけじめ」は複雑な思いを掻き立てる。

 今日は満月、黒々とした樅の木の向こうで青い月光を放っている。満月、十六夜、立待ちの月、居待ちの月、寝待ちの月・・・平安貴族はキザと言うか優雅と言うか、まぁ暇だったんだな、と思う。しかし、まぁなんと日本語は心優しいのだろう。

 しばし窓辺の月を楽しむことにしよう。グラスが要るな。
 ちょっとだけでいい・・・、こんな夜もいいものだ。

歯槽膿漏

2006年08月08日 風の戯言


 歯が痛むので診てもらったら、右下の奥歯を支える骨が融いるらしい。月初めに診てもらい、レントゲンを撮って処置を決めて、2回目の今日は何やるんだろうとぼんやり歯医者に行ったらもう抜かれてしまった。心の準備もしてなかったので困った。と言うのは夕方仲間と飲むことになっていたので・・・でも歯を抜いた程度で義理を欠くげには行かない。
鎮痛剤を飲みながらビールを飲んだ。どこか円やかな味がしたけれど・・・まぁそんなもんだ。

 知り合いの医者に点滴しながら毒ギノコを食べる変人がいる。少しづつ毒が回り、痺れ始める快感がいいのだそうだ。ろくなもんじゃない。
 馬鹿さ加減を楽しむ豪傑が少なくなった。世の中、発想が貧弱になった。精神を解き放つ遊びが大切なんだけどね。

この国のけじめ

2006年08月07日 風の戯言


 銀行の納涼会を終えて先ほど御帰還。
 納涼会はリラックスした服装が多いので、普段とは違う人の出会いがあるはず、また例え普段から知っている人でも新発見の新たな出会いがあるでしょう、なんて冒頭の挨拶でシャギ込んでみたが反応はイマイチ。
 そう言えば、人は聞きたいことしか聞かない、のだそうだ。理解できる言葉は耳に入るが、その逆は全く駄目になる。同じように、本を読まない人に話しても会話にならない。どんな感動も伝える努力を放棄してしまう。同じリズムを奏でる人には出会うこともない。人は段々寂しくなり、虚しくなり、人はお地蔵さんのなる。
 何を言っても始まらない、と放り出すのか。ゲバラのようにそれでも革命を夢見るのか・・・今は気力が失せている。でもまた、明日になれば日は昇るはずだ。

俺達に「昨日」はない

2006年08月06日 風の戯言


 田圃の稲は主人の足音を聞いて育つ、と言う。
 朝の出勤前に自分の田を見回る、それが楽しくてねぇと言っていた仲間がいた。稲たちに声をかけながら水や病虫害の世話を焼く、言葉にならなくても表情で判るようになるのだろう。
 
 庭の芝生が思うように育たない。
 7月の長雨の後元気が出ていないようなのだ。何が足りないのだろう。今日は一日三度も散水し頑張れ頑張れと声をかけている。心なしか元気が出てきたようだ。
 庭の片隅に家を建てた時植えた万年青がある。30年、見向きもしなかった。今年の春何気なし二手を加えたら素晴らしい光沢の葉が蘇った。依頼毎日手入れをするようになったら益々可愛くなった。植物も心が通うんだ、と思った。
 草木と話しているなんて痴呆の始まりかもしれない。最近語彙が乏しくなった。元々言語中枢に疑問があるので症状が進んだだけなのだろうがこの先あまり長くないのかも知れない。元々生命への執着心は薄いので、何時途切れたとしても悔いはない。最近は生きることに厭いてきている。中谷が自裁したとき「みんな許せるし、もういいんだ」と言っていたことを思い出す。そんな感じなのだ。
 軽挙妄動は慎むが、その程度の自制心はあるが、少し生き方を変えてみる必要がある、のかも知れない。人生に昨日はない。生きていることは汚物を撒き散らしながら這いずり回っていることだから、過去は見るべきではない。心を暗くして未来を失ってはならない。笑顔とは、その心の迷いを封印した未来に向かう決心のように思える。