南天の月
夜の庭に出ると散り始めた八重桜の花の南天に月が輝く。満月を過ぎたばかりの月明かりは物思いに耽るに丁度いい。
社長業は当然のことながら自分の会社の業績が最優先の問題だ。業績を上げ継続的に成長できる仕組み、それさえ出来れば大半の仕事は終わる。成長できる仕組みとは社員が精一杯に活動できる人事考課システムなのだろうと思っている。それだけではないが、組織を活性化する仕組みが最重要な課題だ。自分が抱え込んだ社員の生活が、厳しくとも豊かであるように自立の道を探らねばならない。この時間もあれこれ考えて眠れないでいる。
地域に根を下ろして活動していると会社経営とは別の仕事が舞い込む。自分の能力を考え断れば良さそうなものを、グズグズと溜め込んでしまう。いい性分とは言えない。
市の長期計画、産業大学の未来等自分の力ではどうにもならん。余計なお世話が仕事を増やしている。
味噌屋の再建、情報通信会社の経営。これは本来の業務に関係するものもあるので身を入れて懸からねばならない。
あと業界関連の役職を幾つか、これはそろそろ身をひく必要があるのだろう。中途半端な名誉職は楽でいいけど存在意味が良くわからないことが多い。伝統、ってやつだ。
ブツブツ言っているうちに時間が過ぎている。もう少し纏めて寝るとしよう。
南天の月が窓の真正面に懸かっている。静かな夜だ。
消しゴム
読売新聞10日の編集手帳に串田孫一さんの「消しゴム」の話が載っていた。
人生とは「恥の種」「悔いの種」を撒き散らしながら生きると言うことかも知れない。様々な軽率や無知が生んだ書き損じを消してくれるのだから「消しゴム」は「救い主」なんだと言う。忘れ去る、という美徳も有難いものなのだが・・・挑戦もせずに、傍観者を決込んで評論をしているだけでは人生なんて詰まらぬものなのだろう。
未来に賭け、行動し、挫折し自殺まで考えたときにポッと幸運が舞い込むことがある。果報は寝て待て、と言う言葉がある。やることやつたら、見苦しい動きはするな、後は天に任せろと言うことなのだ。
ビジネスはやってみるなければ判らない事も多い。途中で諦めれば、失敗は確定する。成功するまでやる、それが成功の秘訣だとも言う。命を賭けてやる、それが男の生き様だなんてもう古いのかも知らん。
俺は消しゴムは要らん。無様であろうとそれが俺だ、言えるようになってきた。もう直ぐ64歳、いまだ未完成。