六本指の足

2012年08月22日 風の戯言


 草木も眠る丑三つ時、庭に出てみると、満天の星。
 21日は流れ星が幾つか見えたが、昨日はゼロ。
 真夜中に小一時間も空を見続けている自分に気がつき、なんか70歳の若者がやることじゃないな、と落ち込む。

 星明かり、久し振りにそんな言葉を思い出したが、カメラには捉えられない。残念 !

 写真は先日、小千谷の山本山で見た風景。我が黒姫山を六本指の足が空を蹴っていた。随分と前だけど、新宿のホテルの窓から雲の仙人を見たことがある。雲は自由で、いい。

夏雲

2012年08月19日 風の戯言


 妙高で見事な夏雲に出会った。

 妙高は不思議な山で、何故か人の心を和ませる。

 妙高は別名「須弥山(しゅみせん)」と呼ばれ、古代インドの世界観の中で中心にそびえる山とされている・とされているが、WiKipediaでは「須弥山」とはサンスクリット『Sumeru、スメール山』の漢字による音訳で、意訳は「妙高」という、らしい。

 高校山岳部で馴染んだ山でもあり、あの山を見るとホッとする。

 お盆休みに、蔦屋で福田和也の「岸信介と未完の日本」を買って来ていたので時間潰しに目を通した。『在りし日の日本』が蘇って来、夢中になっていた。
 福田和也の名前は知っていても、本を読んだことが無かった。なかなかの人と、改めて知った。
 そう言えば、「敗戦」の日から67年が過ぎていた。真夏の、あの日の3歳の記憶がまだ残っている。

 今は3.11と福島原発の取材を通し、「失敗の本質」を暴き出している朝日新聞の「プロメティウスの罠」を厭嫌ながら読んでいる。5年前の中越沖地震も一歩間違えば、柏崎は今の福島のような事態に追い込まれていたとしても不思議ではなさそうだ。
 先祖代々の生活の場を追われた人々の苦しみと絶望が伝わってくる。そんな中でも、人は何故死を選ばないのか、人間という動物の不思議さを感じる。

朝顔

2012年08月18日 風の戯言


 朝顔につるべ取られて貰い水

 そんな句があったなぁ・・・少し嫌みが混じるけど・・・でね、何となく判る。

 風呂の窓の、朝顔がこんな色をしているとは知らなかった。

お墓参り

2012年08月13日 風の戯言


 気がつけば、お盆になっていた・・・そんな感じがする。
 70歳になって、やっと何かが見え始め、それを自分の言葉にし、人に伝える・・・言えばそれだけのことだが、中々出来ないでいる。
 要は言葉の定義が曖昧なのだ。「失敗の本質」の解説本を読んでいて少しづつ見えてきたモノがある。恥ずかしい話だが「戦略」という言葉をよく使うが、『戦略とは「目標達成につながる勝利」を選ぶこと』とすると判りやすいようだ。
 この休みは、それを探し求める時間になりそうだ。

落日燃ゆ

2012年08月08日 風の戯言


帰宅しようと会社を出たら、街の屋根越しに夕陽が映えていた。。
海で夕陽が見たくなり、信号待ちでイライラしながら浜辺に着いたら、水平線に横たわる雲に隠れそうになっていた。

世の中は波瀾万丈だが、夕陽は何時も美しい。