遺伝子の乗り物
一昨日は東京7時間ぶっ通しのセミナーに参加。昨日は午後から新潟の講演会を聴講。些か狂気じみたスケジュールではあるが、人生幾つになっても運命の出会いというがある。
昨日の講師は渋井真帆さんという30代のバリバリの美人。しかし、ただの美人講師ではなかった。
宇宙飛行士の毛利さんと対談する機会が有った時、楽屋で初対面の渋井さんに毛利さんはいきなり質問をぶつけてきたそうな。
「渋井さん、人生の究極の幸福って何だと思いますか?」
即座にこんな問いに答えられる人はいないだろう。
「人生の究極の幸福は進化することだ」と毛利さんは言ったという。それは人間は遺伝子の乗り物に過ぎず、今現在自分の身体を支配している遺伝子は地球上に生命が誕生して以来、単細胞の時代から幾多の絶滅の危機を乗り超えてきた遺伝子である・・・そういうことになるのだ。
幾多の絶滅の危機を乗り越えてきた、いわゆる進化した、激動する環境変化に対応してきた遺伝子は、進化し環境に対応すること事態を是とし、楽しいと感じている筈だと言う。
前向きに生きる人に感動し、惹かれるは遺伝子に組み込まれたプログラムの仕業だという。高橋尚子やイチローなどのアスリートに興奮するのは、限界を超えて頑張っているイチローの遺伝子に対し、己の身体に乗り移った遺伝子の興奮のなせる業だという。人は未来に挑戦することを喜ぶ遺伝子に支配されているのだ。
だから、何時も後ろ向きの言葉を吐く人を嫌だな、と思うのは組み込まれた遺伝子のプログラムと違うからだ。
松下幸之助には「世の中は常に生成発展するものだ」とい強い信仰がある。どうせバブルの夢の跡だろう、と深くは考えなかった。しかし違ったのだ。リチャード・ドーキンスや竹内久美子の遺伝子学の本と渋井真帆の話で松下幸之助の言葉の意味が解けた。
我々は進化を喜びとする、人生の究極の幸福とするプログラムをインプットされた遺伝子の乗り物なのだ、ということか。
武士道
読売新聞一面「日本 漂流する倫理」によれば「武士道」を取り入れた研修が各地で行われているらしい。
「武士道」とは自ら信ずる道を独立自尊の精神で生きる、ってことなのだろう。仁、義、礼、智、誠、孝、忠、廉、恥、勇、名、克。それぞれに深い意味があるのだろうが、俺には分らない。「魏を見てせざるは勇なかりき」なんて言葉だけイキがっていた時期もあった。「利己心を抑えて生きろ」は仏教の「自利利他」の方が深く思える。
「独立自尊」がなぜ価値があるかと言えば、他人に小突き回されたり、他人の価値観に振り回されて自分の人生を虚しいものにしたくないからだろう。特に人に頼って生きている場合、その人の都合で面倒を見て貰えない時、哀しいかな、自分がその人を怨んでしまうことが多いからだ。お世話になりながらその恩人を怨む、なんて不思議な感情だけれどそうなった時の自分ほど哀れなものはない。
「自助自立」誰も人の死を代わることができないならば、己の生は自分で支えるべきだ。いろいろな事情でそれが不可能な人に対しては、その人を支えるべきだろうし、その人の「ありがとう」を己の生きる力としたいと思う。
日本は今、アメリカの圧倒的な力の庇護の下にある。そして「歴史的な平和」な時間を貪っている。このことがいいことなのかどうか、俺には分らない。
只この支配モデルが日本中の自治体に遍く適用され、国民も住民も自分の不満や不幸を国や町のせいにしているのは、たった一回しか生きられない自分の生の時間として、何処か悲しいズレがあるように思う。
精一杯に生きて、生きたことに満足して、もうこのくらいでいいかな、と目を瞑る幸せってのもあるのかも知れない。
BS-hiのシートン動物記を見ていてそう思った。そう言えば子供の頃から気になっていながら、シートンを読んでいなかったな。
倒産!
最近、倒産覚悟で社員研修にチカラを入れてみたいと思うようになった。
経済知識や現場の匂いも知らないで顧客の課題解決なんて出来るわけがない。徒に専門書の上っ面な知識だけで振り回して顧客にお伺いしたって叩き出されるのが落ちだろう。
そう思って、経営目標より経営品質の顧客価値創造とは何か、その体得と実践に全加重を移してみようと思う。答えが出なければ、顧客に価値を認めて貰えなかったということで倒産、会社閉鎖も仕方ない、と本気で腹を括った。
例え会社がなくなっても智恵の詰まった社員が顧客を守り社員同士が集まり生き延びていけるだろうと、これも本気で考えている。社長としてはブルーシートが待っていることになるが、結果としてなら甘んじて受けざるを得ない、と思っている。
まぁ、そんなことで展示会やセミナー、海外研修、幹部教育などで大忙しになりそうだ。形どおりではなく研修前に社長のシャワーを浴びせようというのだから無事には済みまい。
楽しくなりそうだ。
年の性か、少し気が短くなっているかな?
ニッカの聖地 余市蒸留所
小樽を出て、石狩湾に添って西に暫らく行くと余市に着く。ウィスキーの好きな人ならニッカの「余市」や「竹鶴」は外せないだろう。ニッカは、どこか職人の味が残り独特の文化を持っている。
考えてみれば、人間が酒を飲むなんて行為は、最も無駄な、意味もないことなのだが、その無意味さを俺は文化だと思っている。
ここは余市、ニッカの聖地なのだ。
「竹鶴政孝が、海と山に囲まれた北海道の余市町に理想の ウイスキーづくりの自然を見いだし、1934年(昭和9年) に竣工したニッカ創業の蒸溜所。今でも創業時と変わらぬ 伝統的な「石炭直火焚き蒸溜法」でモルトウイスキーをつ くっています」と案内にある。
工場見学の団体に紛れ込んで、途中の説明をパスしながら「試飲所」に駆け込んだ。25年の SINGLE CASK 原酒が俺を手招きしている。
迷わず一杯をグビッとやる。うまいっ! 続けて15年物をグビッ! うまっ! もう一度25年をグビッ! うまぁっ!!
ウィスキーみたいな顔をした販売所のボスに、「ここでしか販売していない」25年と15年の原酒を注文し、ラベルを良く見ると54度と61度 えっ! 61度? アルコール分を確認したら、さっきの「うまっ!」がいきなり戻ってきた来た!!
芝生で大の字で沈没・・・・意識が遠ざかってゆく・・・ ・・しあわせ!
今春看又過
稲田に用水が引かれ田植えが始まった。
毎年同じ時期に(だから暦が出来たのだろうけれど)繰り返される風景はいいものだ。2000年の連作を屁とも思わない稲と言う不思議な作物の持つ力によるものなのだろう。
山々は新緑に匂い立ち、野山に満ちた水気が普段の風景を霞ませている。
春の大型連休は人間も再生させる力があるようだ。
久し振りに本を読んだりセミナー資料をに目を通し、充実した時間を過している。ただ、65歳にもなって未だ至らざる事の多さに愕然とする。しかし、それに気づき、熟慮し、計画を練り実行してゆくことが大切なことであり、悔いてもしょうがないのだろうと思うことにした。静かにファイトを燃やし続ける・・・年も忘れることにした。
この連休の中で「ぶどう村」が幕を下ろした。
いまさら自分に出来ることもなく、またその気になってもいかんのだろうと思う。物事には天の時というものがある。俺は自分の会社の経営と、自分自身の仕上げにもう少し一生懸命になる必要があるようだ。
「俺は大器晩成」なんて嘯いていたら、もう晩鐘が鳴っていた。日暮れて道まだ通しの感は濃いが、鳴り終るまでまだ時間もあるようだし・・・。
父の弟でアララギの歌人であった高野好吾の和歌一首
断ち難き悩み抱きて
深大寺の
夕暮るる坂を一人上りく。
・・・・・
こんな時は杜甫の有名な詩でも借りてくるしかないな
江碧鳥逾白 江碧(こうみどり)にして鳥いよいよ白く
山青花欲然 山青くして花然えんと欲す
今春看又過 今春 又過ぐるを看る
何日是歸年 何時の日か 是れ帰えれる年ぞ