飛ぶが如く
1週間が、正に「飛ぶが如く」過ぎ去ってゆく。
人生と言う時間もそうなんだろうな・・・。
光の速さで飛び続けた65年の距離は広大な宇宙の中ではほんの一瞬の時間でしかないのだろう。過ぎ去った時間は奥行きのない絵のようでもあり、しかし、未来を含んだ現在は、当然のことなのだが、苦悶と悪戦苦闘の真っ只中のリアルな時間なのだ。
浦島太郎の物語は、ボサッとしていると人生の晩鐘がなり始めてしまいますよ、というオハナシなんだという。
光陰矢のごとし
今日は何を考えているんだ?
老体の軋み
いよいよ老体にガタが来たらしい。
5日、仕事始め、葬式、新年会
6日、社長室の片付け
7日、葬式
8日、南無阿弥陀仏!
7日は建設業時代別俣の圃場整備でお世話になった鈴木健三さんのお葬式。市議会議長を務めた人なので市議会議員の人たちの参列が多かった。当時の土地改良区の職員の人達とも30年振り位で顔を合わせた。みんな当時のままで年をとっている。
ただ、迂闊に寒さ対策の防備をしてなかった為に背骨が軋むほど寒く、家に帰って布団の中で震えていた。結局今日のお昼過ぎまで死体同然。
夕方、久々に「カヴァレリア・ルステイカーナ」を聞きながら佐藤優の「国家の罠」を読み直す。「獄中記」を閉じて、急いで読み飛ばしていた「罠」を開いていると正に「現代史」が見えてくる。文春1月号の藤原正彦「国家の堕落」と合わせて考えると、9.11以降大きな崩壊が起きたその姿が見えてくる。
そんな次の安定に向かう動乱の中で、自分自身を崩れ落ちないように支える柱が見つかったようだ。それをきちんとしたレポートにしておきたいと思う。
賀詞交換会
今日4日は柏崎市恒例の賀詞交換会。
市長、会議所会頭、与野党国会議員が参列し、地域政官財各界の人たちが一堂に会し新年のお祝いを交わす。
まぁ、そんなもんだ。
佐藤優の「獄中記」のつづき。
「信念を持つ者は前を見るべきである」
チェコの神学者フロマートカの言葉として紹介されている。「知識人は行動すべき」と同じ意だろう。自分を知識人だとは思っても居ないが、気のついた人から行動を起せ、傍観するな、と言うことなのだろう。さして惜しい命でもない。悔いを残して死にたくはないな。拍手を期待したら、それはもう自分の人生ではない、ということか。
そうそう、この本の最初の頃に常に「人間とは何か」と考えろ、とある。「人生とは何か」「幸福とは何か」此処から出発しないと全ては虚しい空論に終わるのかもしれない。