秋、俺の休日
今日は友人の自裁の日、もう4年経つのかなぁ・・・。
そして明日は中越地震から2年・・・。
秋晴れの空は青く、色づき始めた公園の落ち葉が俺を不機嫌にさせる。自宅前の中鯖石コミュニティでは秋恒例の鯖石ロードレースで賑わっているが、何か自分とは別世界。寒々とした心の中を通り過ぎる風は、今日の穏やかな天候とは別世界。
近くのコンビニでスパゲッティの弁当を買い、妻と二人ぶどう園に忍び込んで昼食とする。刈羽三山、米山、黒姫山、八国山が秋空に映え、しばし心豊かな時間が持てた。
夜「未完成」で宮島さんたちのライブ。アルコール分なしでジャズを聴いていたけれど、これは邪道だ。頭がクラクラするほど酒を飲み、感情のろ過装置を外さないと演奏者も困ってしまう。
帰り道、若者が一人スケボーを蹴っていた。何故か青春時代の苛立ちが込上げて来て暫らくタイムスリップしていた。俺はあの頃、何にあんなに牙を剥いていたのだろう。金も希望も才能もなく、絶望に打ちひしがれていた。あれからどうして生き延びてきたのか、今も良く判らない。
人生の秋は穏やかな茶系の色合いが似合う。ハズなんだよな。
偽りのリアリティ
「人間を幸福にしない日本というシステム」と言う本がある。長らく本棚の肥しになっていた。
著者はオランダ人ジャーナリスト、カレン・ヴァン・ウォルフレン。どういう人か知らない。
「この人生はどこかおかしい」と多くの日本人が感じている。それは何故か?
そんな書き出しでこの本は始まる。
言われてみれば個人生活も会社勤務も、まして公的な会議などはいつも「建前」の中で進み成り立っている。どこかおかしい、だけど誰も発言しない、自分も何故か黙っている、そんな経験は誰でも持っているのだろう。何故?
「偽りのリアリティ」
本当のことを、怪我の正体を、絶望の深淵を誰も覗こうとはしない。現実を直視し、時に傷口に塩を塗りこむような痛みの中から、やっと本当の姿が見え、何をせねばならないのか判って来る。
この本もシンドそうだ
賛美歌
挙式の1週間ほど前、石井君に「考え直すのなら今のうちだぞ」と耳元で囁いたが「絶対にありえません!」て叫んでいた。今日初めて嫁さんを見て「当然だ!」と納得がいった。
彼が一途の愛を貫いたのも、彼女の清楚な温かい人柄に魅せられたからなのだろう。いい花嫁さんだ。
教会での結婚式で賛美歌312番「慈しみ深き」が歌われる。涙が滲むほど好きな賛美歌なのだが、何故かその後に胸が苦しくなり、気持ちが塞ぎ込んでしまう。この歳になってと思うのだが、時によりしどろもどろになってしまう。引き摺ったまま披露宴のスピーチで、お祝いの言葉に元気が篭らないことも過去にあった。若いころの母が、子供をあやしながら賛美歌を歌っていたと言う話が無意識の中に思い出されるのかもしれない。
石井君の披露宴スピーチは何とか切り抜けた。ただ、あんなに好きなシャンパンが途中でストップしてしまった。しかし最後まで、雰囲気を壊すこともなくめでたく式を終えることが出来た。
華やかな、いい結婚式だった。