震災復興計画策定委員会
M6.8 中越沖地震より5ケ月。
柏崎市震災復興計画策定委員会委員を務めることになった。四次総市民会議副会長との関係での任命らしい。
多分筋書きが整っているところでの「追認」作業になるのだろうが、気になることが2,3ある。
一つは復興計画の理念或いは旗印だ。地震により前提条件がチャラになったので、単なる四次総の前期計画という位置づけではなくなっている。明確な復興計画の理念が必要なのだと思う。
「帰ろう、山古志へ!」がなぜ感動的なのか。明確な達成可能な目標が提示されているからだと思う。苦難に耐え、到達すべき目標があるならば、人は頑張れるのだ、そう思う。
もう一つ。原発の再開論議を抜きにして復興計画はありえない。地域経済を考えるならば、地震で倒壊した住宅の建替えに30年ローンを組んだ人たちの生活を考えるべきだ、と思う。
安全を度外視しろ、という意味では、もちろん、ない。
大晦日の復興花火
いろいろな思いを花火に乗せて大空に送り届けたい、そんな思いも篭った大晦日復興花火の準備が進んでいる。
募金は予想を超えて集まり続け、多分予算は確保できるだろう。不足だったら言ってくれ、いくらでも出すから・・・そんな嬉しい申し出も何人かから寄せられている。除夜の鐘と共に打ち揚げられる花火はただの花火ではないのだろう。企画者の思い以上に大きな何かが加わったようだ。
鯨波事務所の解体終了
丘の上の小さな城のような白い建物が好きだった。
広い更地は表情を失った仮面のように、感傷に沈もうとする自分を拒絶しているように感じる。3年前の地震による被害のあと、丁寧に修理した心算だったけれど、その後立ち寄る機会が殆ど無くなっていた。
社長室に置いていた仏様もお参りする事もなくなり、建物に宿った神様達は寂しかったに違いない。申し訳なく、心が痛む。
春になったら崖側に木の柵を設け、木犀のベンチなどを置き、下を通る電車を見ながらビールが飲めるようにしたい。跡地には花を植えたり、木を植えたりして土地の神の機嫌を直してもらおうと考えている。
来週、最期までこの建物にお世話になったネットワークシステム課の面々と、課員でもある有坂宮司による地鎮祭を執り行いたいと思う。
この土地と建物を入手した時、ここに住む霊達を鎮めるのに随分と時間がかかった。社員がみんな帰った後で、一人般若心経を唱え怒りを解いていった。半年ほど掛かったような記憶が残っている。暫らくまたこの地に通うことになる。何をするでもなく、一人ブツブツと言いながら地の神達と語り合うのだ。
事情の見えない人たちからは、変な行動に見えるのかも知れない。かまうことか。
オイおさむ 明日より目指せ 風の果て 草風