不信の構造
柏崎市加納 石塚修
原発のメンテナンス現場から沈痛な呻き声が聞こえてきている。震源は友人の会社であってその点は極めて個人的なの話なのだが、同時に地域としても根元的な安全に関する問題が内在している。
原発のメンテナンス現場で、今何が起きているか聞いていますか。
プルサーマルの問題も平沼経済産業相が柏崎刈羽原子力発電所を視察し、何となく「国もようやく本腰を入れ始めたか」との感もあり、一件落着が近い雰囲気が漂っている。しかし、刈羽村の住民投票の結果が意味するものとは、大臣が乗り出したから直ちに解決するようなそんな簡単な「不安」ではない。経済にも深く関わる問題だけに、長い間封じられてきた行政と東電と自分自身に対する不信感がマグマのように吹き出したと言っていい。固定化した賛成・反対の相互不信の中で、不毛な討論だけが飛び交い、地域に「不信」が澱のように沈み込んでいる。行政と東電は血の出るような説明をしてきたのか。商工会議所は血の出るような議論の末に「賛成」したのか。我々は自ら納得するまでの情報を集め、勉強したのか。自分自身に照らしてみれば、いずれも「NO!」であったように思う。
私は先人たちが血尿の末に下した結論に従う。但し、自分の目は失わない。
この国の技術水準からいえば大きな事故の心配は無いだろうと確信している。ただ私が危惧を感じるのは、マスコミ報道と現場の直向さとのギャップだ。人は病気になり、機械は疲労する。だから医療やメンテナンスが必要となる。治療・保守と事故の区別のない一方的なマスコミの「事故報道」に現場は何時か無力感に陥らないか。仕事への熱意と誠意が失われた時、「システム」は崩壊する。取り返しのつかない惨事が起きなければいいが・・・。
その恐れから私は何年も前から原発サイトの「映像による情報公開」をお願いしてきた。その手段としてのCATVの実現を夢見て、自分の非力も省みず何年かの無駄な努力もしてみた。「明るい昼間に、お化けの出た例しはない」と。自ら正しいと信ずる現場のリアルタイム映像は格段の説得力を持つハズである。この情報化の時代に、直接我々に「生のママの映像」で話し掛けることなしに、何故マスコミとの不毛な戦いを続けてきたのか、不思議でならない。
もうひとつの不安は冒頭の「現場からの呻き声」だ。経済の国際化により「国策」である原子力発電事業所もコストカットが至上命題になっており、あらゆる知恵を絞り「無駄」を省くためにどの企業も死に物狂いの努力を強いられている。しかし、「何が無駄なのか、何がコストカットの対象なのか」と私は思う。大幅なコストダウンを要求されたとき、何をどう合理化し何処をカットするのか。組織にとって一番痛みが少なく、安易な方法は外注費を削ることになる。下請けに選べる道は多くない。しかし、最先端の現場を担当している下請けは実質的な品質保証を強いられながら実働時間は不安定になっている。メンテナンスのサイクルは長くなり、しかも作業は短期間を要求される。仕事が不定期になり実稼動しか下請け賃金の対象にしかならず、高度な技能集団が待機保障もないとしたらどうなるか。ある経営者は空き時間の有効活用で苦悶し、またある経営者は当座の作業員の頭数だけ揃える。経済原則から言えば経営は常に結果責任であり、後者を不誠実とは言い切れない。しかし、誠意ある有能な現場技術者が安心して仕事に打ち込める生活保障体制と評価制度が無いとしたら、そして地域と企業が次世代の優秀な技術者を育てられないとしたら・・・。原発現場の心の空洞化。そのことにより原発のメンテナンス現場で何が起きているか。
最小の経費で最大の効果。これは経済原則だ。しかし、安全を守るためのメンテナンス作業が、現場の経費実体を無視したコストカットに晒されているとしたら「安全」には限度がある。必要な経費は削除すべきではない。どうしても経費削除しなければならないとしたら、現場から遠い間接経費からではないのか。現場の技術評価と技術屋の心を無視していたら必ず取り返しのつかない事故が起きる。
東京という世界最大の都市のために安いコストの電力を提供することに異論はない。しかし、そのコスト削減のために、この土地に生き続けなければならない我々が不安に晒されるとしたら、そのシステムは間違っている。経済とは共同体の全員が僅かな時間の人生を全うできるシステムのハズだ。あえて暴言を吐くならば、柏崎刈羽原子力発電所を地元自治体で接収し、ここに住み続ける企業と技術者で運営し、不安の根源を絶ち、名実ともに運命共同体として孫子の代に伝えてゆくしかないのかも知れない。「信なくば立たず」信なくば、その企業は地域に存在する価値が無い、と思う。
地域の信頼を呼び寄せるために下記の提案をしたいと思う。
1. 地域技術会社の採用による安全性の確保
2. 映像等による情報の公開
3. 電子入札による物資・サービスの条件付き一般競争入札制の採用
苦境にも関わらず、与えられた自身の業務に誠実に対処している現場技術者への敬意を込めて、この一文を書いた。御批判を乞う。