鯖石川治水紀功の碑
我が家の前に中鯖石交通公園がある。昔の小学校の跡であり、この学校は藍沢南城に連なる。そこに巨大な石碑が建っている。
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鯖石川治水紀功碑
東頚城郡松代町を源として渓谷の水を集めながら高柳から鯖石郷を経て日本海に注ぐ鯖石川はは川幅も一定でなく曲折箇所が多く中鯖石村では夏期になると水害が多く田畑や家屋敷が度々被害を蒙った。そんな状況を見かねた北村丈右衛門が治水対策に立ち上がり、以来多くの有力者達が陳情活動をすすめていく。大正3年尊重村松利太郎が今禍の源を絶がなければ百世まで悔いを残す、と熱意を持って立ち上がり、ようやく大事業を成し遂げた。
大正八年十一月第一期起工式には県知事太田正弘 が来 した。県費7割補助の工事費は八十余万円で地元負担は村の収入数十年分にもあたり人夫も二十万人分にも及んだ。大正十三年四月竣工式では工事関係者はもとより地元民や来賓の知事も大いに喜びその功績を称えた。
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「国が自分に何をしてくれるかではなく、自分がこの国になにをすることが出来るのかを問え」
有名なケネディ大統領の就任演説の一節だが、原典は新渡戸稲造の英文の「武士道」からの引用だと言う。
我らは、今この国に何をしているのだろう。
味噌汁
考えてみたら、暫らく家で夕飯を食べてなかった。
65歳に近いお調子者、なんて可愛げもないが人が集まると楽しい時間にしたくなるのは美点なのか哀しい性なのか・・・。此処3週間ほど家でゆっくりご飯を食べていないことに気がついた。無性に里芋と白菜と大根の味噌汁が飲みたくてしょうがない、って感じになった。やはり体が要求するのだろうか。
今日も一日自室に閉じ篭って惰眠を貪り岡田英弘の「皇帝たちの中国」を読んでいた。女房が出掛けに作ってくれた味噌汁を温めては老境の一人ものの時間を楽しんだ。秋の日は、コーヒーよりもお茶よりも暖かい味噌汁がいい。
小さな采園の垣根のドウダンツツジがいい色に染まっている。もう冬も近いのだな。
明日は30何回目かの結婚記念日。今思い出した。さて、どうすればいい?
山茶花 一輪
今日は一日中自室で過した。
本屋から届いた浅田次郎の「中原の虹」に沈殿し、清朝末期の中国に漂っていた。「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」そして今回の「中原の虹」。ストーリーテラーとしての構想力の大きさと物語の奥深さに魅了され続けている。一言で言えば「面白い!」のだ。満州国建国の前後に動いた馬賊の棟梁張作リンはいつもステレオタイプの馬賊だった。今回は彼に血が通った。
読書に疲れて窓の外に目をやれば、垣根の山茶花に一輪の花が付いていた。
山茶花の人待ちて咲く心あり 佐藤壷泡
義兄であり親代わりであった秋雄兄がガンの手術を終えて帰宅したときの句である。その直ぐ後の11月25日、帰らぬ人となった。現職の柏崎医師会長 享年53歳。壷泡は「こほう」と読み、ゴッホから取ったらしい。医師として仰ぎ見るものがあったのだろう。もう33年が過ぎる。
旅を終えて、改めてみる柏崎の風景は美しいと思った。
山は紅葉、田圃は刈入後に伸びた稲が黄色く染まっている。葉が散って枝ばかりが目立つようになった桜の木も何か新鮮な美しさがある。
何もかもが誇らしく見え、嬉しくなった。
様々に想いの中に浸って、旅の後の疲れを忘れさせてくれた一日だった。