坂の上の雲
「坂の上の雲」を読んでいる。
今、旅順が陥落しバルチック艦隊がインド洋に差し掛かっている。
明治という時代が浮き出てくるようだ。ある意味眩し過ぎるような時代にも、この国の変わりようのない病理が見えてくる。
司馬遼太郎は何が言いたかったのか?
彼が「ノモンハン」を書いていれば、いや、やはり書けなかったのだろうな、とそんなことを考えている。
組織の中の「私」の問題なのかも知れない。
組織の行動原理に私情を優先させたらどうなるか。価値基準を明確にし行動することの重さと、その反面の虚しさ。
南無阿弥陀仏、だな。
雪の夜に
書斎兼寝室、学生下宿のような部屋の窓の高さまで雪が積もっていて、明かりが届く範囲は白く、垣根の先は闇に閉ざされている。静かな夜だ。
いつの間にか1月も終わろうとしている。少し早い雪に驚かされたけれど、この時期この程度の雪ならそんなに苦にならない。もう2ヶ月ほど耐えていれば、また温かい春が来る。
庭の、今は凍りついたような梅の枝が、そんなことを話しかけてくる。
ホリエモン騒動
ホリエモンが逮捕されたようだ。
一連の騒動を眺めていて、あまり愉快な感じはしない。千葉監督以来のファンとして「近鉄バッファロー」の買収騒ぎが面白かろうはずはない。個人的なことだが。
詐欺師を経済人と呼ぶこと自体、日本全体が狂っている。天下の公党の重要候補者としたり、経団連に入会させたり、この国の指導的立場にある人たちの価値観を疑う。
この自由な時代だもの、いろいろな価値観を持った達が居る。ただ、立場立場で自分の役割を演じなければならない。それが社会で、その暗黙の決め事の中で人は動いている。古いシステムの政治や経済組織ではそれが大切なのではないかと思う。だから、あの人たちの言動に首を傾げてしまう。
「経済」とは人が共同して生きる仕組みのことではなかったのか。人は自分の足らざる部分を補い合い、わずかな時間を生きている。企業はその一員であり、だからこそそこで働くものは、その任務を誠実に努める事に誇りを感じている。
彼らは、人を幸福にするどんな価値を創造したのか。
降りしきる雪の中で、寂しいものを感じている。
情報とは何か
西暦2001年はIT革命の時代と言われています。何しろ森総理が「IT」を「イット」と言ったとか言わぬとかで、国中が「IT」なければ夜も明けぬ国の様相を呈して来ている。
本来「革命」とは社会体制と価値観のドンデン返しでありとんでもない意味を持っているはずなのに、いとも簡単に使われている。少し冷静になって考えることが必要なようです。
情報化の波は80年代末の「ニューメディア」の時代から90年代半ばの「マルチメディア」の時代を経て現在「IT」に到達した。「IT」をどう読むかにも寄りますが「インフォメーション・テクノロジー(情報通信技術)」あるいは「インターネット・テクノロジー」と読む場合はハードまたはインフラであり、「インテリジェンス・テクノロジー」あるいはもっと「インスピレーション・テクノロジー」と読む場合はソフトよりと言えるのではないかと思っています。簡単に言えば「創る技術」か「使う技術」かと言う事であり、どうやらこの手の技術水準が一般的に使える「経済レベル」に達した時代なのかなと思います。
「情報」と言う言葉は明治の初めに福沢諭吉が最初に使ったということですが確認してありません。孫子の兵法以来どうも戦争に纏わりついた言葉のようですが、中国のように陸続きの隣あわせに騎馬民族がいる場合、敵の動静が自分の幸福(生存)に直接関わってくる。
そして危機が目に見える「動静」となる前に敵の首領の頭の中あるいは心を読み取ることが肝要となる。幸福の根源は相手の心のありようを知ること、それが「情報」の本来の言葉の意味だと、そんな観点から「三国志」を読むとまた一段と面白いのかもしれません。無学勝手流の根拠の無い解釈ですが。
さて、また「屁理屈の石塚」と言われる所以ですが、人間の幸福は厄介なことに外的条件としての生存環境と内的な心の両方の満足が必要となります。今の日本は正にこの世の極楽のような世界で、アメリカでは日常茶飯事のような殺人事件が大騒ぎになり、アフリカでは当たり前のような飢えも無い。何が不足で危機的状況にあるかといえばそれは未来に希望がないからだと言う。「希望」の他は何でもある(希望の国のエクソダス-村上龍)。人類には未開の荒野を切り開く事を宿命とするDNAが組込まれているのかも知れない。金が無いのは金持ちになりたいと言う希望があるから幸福なのか・・・苦しいところだ。
わぁー、話がメチャメチャ外れてしまった。
コンピューターは近代合理主義の帰結みたいな産物ですが、人間の素晴らしさは人間不信による効率的な生産性と自ら安全圏にいて効率的な大量殺人マシーンをコミュニケーションの道具に変えたことだと思う。
現実の世に戻ると不況と政治の混迷で新世紀も閉塞感が覆っている。世界一の金持ち国が何のいわれでこんな苦渋を味わなければならんのか。世の中訳わからないけど・・・面白いや。
新聞投稿原稿
風船一揆
風派同盟 祭酒 石塚 修
「越後風船共和国」は「Balloon Republic」の和名である。
酒と夢の混濁の中から生まれた新潟県内の熱気球クラブの集まりで結成30年の歴史を持つ、らしい。年に2度ほどお祭りをしている。
春は小千谷で豊作祈願の「風船一揆」、秋は新潟平野で収穫感謝の「風船一揆秋の陣」。
酒と米とカニを祭壇に供え、空を飛んで神と共に食す。山と平野と海と、越後は限りなく豊かであり、友の心は温かい。
一昨年10月23日、その大地が揺れた。中越地震である。引き裂かれ、傷ついた大地と天変地異に慄く人々の心を鎮める為に、全国の熱気球の仲間が企画し、集まってくれた。
「風船一揆復興の陣」。
祈りを込めて雪国小千谷の空を舞い、直会(なおらい=神事の後のパーティ)は夜遅くまで続き、些か調子の外れた「春よ来い」の合唱が寝静まった街の通りをリフレインしていた。
今年また、雪の小千谷で風船一揆が開催される。遠くから仲間が集まってくる。
天と地と風と、一杯の酒を酌み交わす。まるでモンゴルの祭りのようだ。