ザイゴモン・ファースト
4日の賀詞交換会で市長は「若者世代が住みたい田舎」として柏崎は県内一位だったという「田舎暮らし」の記事を紹介していた。
この記事の意図とデータの信頼性が解らないけれど、ただ若者に「受けている」とすれば「なんでだね?」と少し気になった。
俺は加納が好きでここに住み続けている。
祖先の地に近いこともあるけれど、女房も僅かな畑を耕し、花を育て、夜には星空を眺められる生活が「最高 ! 」と喜んでいてくれる。
ザイゴモンにとって市長の言う「洗練された田舎」とは加納のことかと思うが、単純には喜べない。
ここでは自分を含め後期高齢者がゴロゴロしている。
児童数も減り続け保育所、小学校の存続も危ぶまれている。
安倍総理の言う「新しい時代」とは何を目指しているのだろうか。
通信や輸送がベラボウな勢いで変化をし、AI(人工知能)がのさばり始めた時代。
本当の田舎の「幸福」とは何だろうかと考える。
「親父と海で釣りがしたいから」と東京からUターンしてくれた社員がいる。
多少テレもあるのだろうが、俺は嬉しくて涙が止まらなかった。
優秀な人材が戻ってきてくれる。嬉しいね。
スマホをお持ちの方はFlightradarというアプリを開いてみて欲しい。
地球上を飛んでいる飛行機が世界を覆い尽している。
「経済」という化け物の姿が見えてくるようだ。
田舎で世界を相手に相撲を取るなら、自然の中での本当の人間の生活「大いなるザイゴ」で新しい価値を創り出す時代なんだと思う。ボーとしてられないんだ。
原発も再稼働させたいなら、地域住民に信頼され、安心して住み続けられる田舎の町にしなければならない。
ナポレオンは城を守る為には家族もその城に住まわせろ、と言ったという。
東電も政府も、自分達の正義を通そうとしたら本社を柏崎・刈羽に移転して欲しい。
そして原子力発電所の全ての情報をリアルタイムに、正直に、公開し全ての人とそのリスクと情報を共有して欲しいと思う。
テレビCMと戸別訪問では信頼と安心には逆効果だ。
柏崎の精神的遺産に藍沢南城「三余堂」がある。
その系譜に諸橋轍次の「大漢和辞典」がある。
明治初期日本で最初の聖書翻訳にヘボンと並んで柏崎の人高橋五郎の名前がある。
柏崎をザイゴだなんてナメテもらっては困るのだ。
柏崎日報 1月12日 掲載分
キンタマケルナ !
明けましておめでとうございます。
今のところ、雪が少なくて生活面で助かっている。時々青空がでたり、凍り付いた空に星が見えたりする。
いいもんだね。
閑話休題
正月早々無粋な話で申し訳ないが、表題のカタカナを「金太、負けるな」と読むか「キンタマ、蹴るな」と 読むかはあなた自身の品性による。「キンタマ、ケ・・・」と読みかけた人、少し恥ずかしいかも知れない。
でも、キンタマは精気の集積回路であり男の根源でありまする。
最近、キンタマ無くした人も多くなった。
本来「徳」のある人しか携わってはならないとされる「政治」の世界で嘘や言い訳がまかり通り、「民の平安」を司る大臣(オトド)が神聖な雛壇でエヘラ笑っている。シンゾー政府のこと、だけじゃなさそうだ。
柏崎市会議員に革命を起こす必要があるようだ。
議会定員を10人にし、議員報酬一人当たり600万円の18人分が浮いてくる。1億近くあれば何かがやれそうだね。
ボヤキ禁止条例
平成30年も間もなく終わろうとしている。
今年の漢字は「災」であるという。西日本豪雨や北海道地震など大きな自然災害が続いた。
地球温暖化の影響だとすれば、自らが求めた人工的快適生活の報いなのかも知れない。
崎が中越沖地震以来大きな災害に襲われなかったのが幸いなのだが・・・。
娑婆の景気は戦後最長に並んだ可能性があるそうだ。
だけど我々にその実感はなく、何処の国の話かとも思う。
特に柏崎の経済環境が暗過ぎる。
イトーヨーカ堂の閉鎖、ゼロックスの撤退、原発の再稼働問題等あり暗くならざるを得ないのかも知れない。
しかし、市民が「ダメだ、ダメだ」とみんなで大合唱していたら、自分だけでなく地域の心も未来も暗闇に落ち込んでしまう。
人間は言葉で生きている。
弱音を吐けば運に逃げられ、多少ホラでも元気を出せば運は向いてくる。
運命の女神はワリと単純なんだと思う。
柏崎に戻ってきたのは25歳の時だった。
夢破れ、多分暗い顔だったと思う。
だけど終生の地と思い定めて「いいとこ探し」を始めたら楽しいところが一杯あってビックリした。
柏崎ではいろいろな分野で頑張っている人達が多い。凄いね !
ノートルダム清心女子大学名誉学長故渡邊和子は「置かれた場所で咲きなさい」と言う。
石段の隙間でも花は咲くのだと思う。やはり天下の柏崎だね。
不満があったら市長や市会議員や市役所職員の悪口はいくら言ってもいい。
彼らの任務は市民の幸福を実現させることであるからだ。
だけど、役人に文句を言っているだけでは何も解決しない。
基本は自分達の経済的自立をどうするか。
自分達の柏崎をもっと明るい町にしないと子供達は帰ってこなくなるし、若い人達がいなくなる。
安心して生活できる町でなければ人生を生きる場所ではなくなると思う。
柏崎をどんな町にしたいのか、柏崎がどんな町なら自分は幸福なのか、本気になって議論し方向性を決めないとないと市長はまた何を言い出すか解らないぞ。
少なくとも「ボヤキ禁止条例」を制定したら、と考える。
ボヤイていたって、何も始まらないし何も進まない。
柏崎には新幹線もない。
空港もない。ロケット基地もない。でも柏崎ほど素晴らしい町はないと思う。
みんなで花を咲かせれば、柏崎は行列の出来る町になるかも知れない。
メリー・クリスマス ! そして良いお年を !
「運」について
大谷翔平の目標達成マンダラシートについて書いたことがある。
高校1年生の時、2刀流でドラフト1位指名を獲得する為にどうすべきか。
投打の技術的な目標設定は理解出来るが、「運」を呼び込む為に「ゴミ拾い」までシートに掲げていたのにビックリした。
運とは、人知を超えた神の領域だと感じているからだ。
しかし、体験的に言えば「運」には何度も助けられた。誰かに見守られている、そんな感じがする。
子供の頃、「俺は運がいい」と言ったら、義兄が俺を抱きしめて泣いてくれた。5才で母を失い10才で父は逝った。
親代わりだった兄姉達のその温もりを知っていながら、何故もっと真面目に生きられなかったのか・・・。
「間一髪」という言葉があるが、忘れられないのは小村峠で「空に石が浮いていた!」時だ。
一瞬「落石 !」とブレーキを踏んだが、大きな石はボンネットを大破し、谷に落ちていった。
フロントガラスに飛び込んだらどうなっていたのか・・・。「落石注意」だってねぇ・・・。
宮平の沢の河床工事では、お昼休み前に現場に行き「少し早いけどお昼にしないか」と声を掛け、みんなでワイワイ言いながら現場小屋に戻った瞬間、今まで仕事をしていたその場所に、山の斜面が崩れ落ち、現場は完全に埋まってしまった。
もう一瞬遅かったらと思うと今でもゾッとする。
そんなことが数え切れないくらいある。これはやはり何かの「運」としか思えない。
女房のご機嫌取りにと結婚記念日に旅行に連れ出した。
しかし大積の高速道路でスリップし、路側と中央分離帯のケーブル支柱をなぎ倒して車の前後はシッチャカメッチャカ。
幸いドアは開いてくれて脱出でき、後続車もなく追突事故を免れ、全くの無傷で、今もフテブテしく生きている。
あれ以来女房は車の助手席で四肢を踏ん張り、もの凄い形相で俺を睨み続けている。フンだ !
経営のリスク管理は動物的なカンなのかも知れないが、幾らザイゴモンでも痛い目に何回もあっていれば「失敗の本質」を見る目は否応なしに身についてくる。
しかし「危機一髪」で助かることが多いとはどういうことなんだろうと思う。
会社の仏壇には毎朝水を供え、花を育て、目についたゴミは出来るだけ拾おうと思っている。
だが、そんなことで神が微笑んでくれるのだろうか。不思議な世界だ。
柏崎日報12/8掲載分