嫁よこせ ! 風船一揆
加納から離陸した熱気球「かぐや姫」は国道252号線に沿って下り、田尻の田圃に着陸する予定だった。
ところがどっこい、安田から北条に入ってしまった。
「道が違うぞ」と叫んでも、気球はそんなこと上の空、東長鳥で行方不明になってしまった。
後で聞けば、山の中で谷に張り出した木の枝に不時着を試み(鳥じゃあるまいし!)谷に落ちたという。
藪の中をガスを担ぎ上げ、再び飛び立たせることが出来た。
気球は誇り高く飛び続け、まだ稲刈り途中の小千谷小粟田原に舞降りた。
秋晴れのコッテいい天気の日だったと記憶している。
その年の暮れ、東京での気球仲間の会議の時の「白い雪の上で飛んでみたい」の一言で我々は「よしっ!、わかった、やろう!」。
楽しそうなことは他に譲れないのが我等の「柏崎熱気球苦楽部」、早速その「雪の上の気球大会」の妄想に取り憑かれてしまった。
翌年の3月、春のお彼岸に小千谷市小粟田原の雪原に東京、京都、広島から7機の気球が集まった。
名目は「雪の下の大地に捧げる豊作祈願祭」。
現地本部は小粟田原カントリーエレベーター。
駐車場は小千谷の砂利業者の仲間が「任せとけ !」と無償で除雪してくれ、鯖石からもタイヤショベルも出動させた。
路面から2メーターもある雪の壁を上れば、雪原に色とりどりの球皮を拡げ、次々と青空に飛び立って行く。
本当に、今まで見たこともない感動的な雪国の早春の風物詩になっていた。
「地方の時代」が叫ばれ、蟻塚のような都会生活に愛想を尽かし始めた時代でもあった。
「嫁よこせ ! 風船一揆」のムシロ旗を立て、辺境革命の狼煙を上げた。
取材にきてくれた越後タイムスの吉田昭一さんが「嫁よこせ!・・・か、ウフフフッ」とあの謎の微笑を浮かべてくれ、これで決まったと思った。
嬉しかったね!
夜は中鯖石コミュニティで近所の人達にも手伝って貰い餅搗きも加わった大宴会。
特別参加の2人の外人は日本酒に酔っ払い、女子大生達は窓から飛び降りて雪に埋まり、喜びを爆発させていた。
やがて一揆は「越後風船共和国」として独立し、当時の星野行男市長と四尺玉の本田善治さんが面白がって雪国小千谷の早春の祭りに育ててくれた。
今更「地方創生」なんてザイゴモンを馬鹿にしたような言い方するけど、都会とどっちが幸せなんだと思う。
アッタケェーノ、都会で星が見えるかい?
柏崎日報 11月10日 掲載分
Autumn Leaves
The falling leaves drift by the window
The autumn leaves of red and gold
I see your lips, the summer kisses
The sun-burned hands I used to hold
Since you went away the days grow long
And soon I’ll hear old winter’s song
But I miss you most of all my darling
When autumn leaves start to fall
枯葉を踏んで、過ぎゆく秋の山を歩きたい
ルパン三世と妖怪たち
俺の家には妖怪が棲む。いや、女房のことではない。
台所に立ったけれど何をしに来たのか忘れ、水を飲んで部屋に戻る。
ウンコするのを忘れ、屁だけしてトイレから出てくる。いやはや !
大事なことだから覚えておこうとしたメモがなくなり、机の上に置いたスマホが消えている。
イライラが頂点に達した頃、思いもよらぬところで見つかる。
どうもルパン三世の孫達が要らぬ「ハチケ」をして遊んでいるとしか思えない。
彼らとの遊び方に慣れて来ると、それもいいのだが・・・。
「忘却とは忘れ去ることなり」君の名は・・・誰だ ? ナンテ惚ける術も身につけ、痴呆を女房に悟られないようにしている。
妖怪の効用もある。
古い本がみな新鮮なのだ。
付箋が貼ってあったり、角を折ってあったりするから一応「読んだ」ハズなのだが・・・本の中を徘徊し、読むたびに感動している。
特に浅田次郎の「蒼穹の昴」シリーズはいい。
清朝末期から満州国、日本の敗戦に至る東アジアの歴史の流れとその時代に生きた人々の呻きが聞こえてくる。
歴史を翻弄し、歴史に翻弄された西太后、溥儀等紫禁城で栄華を極めた皇族達の末路、馬賊の頭目張作霖の爆殺「満州某重大事件」、餓えと戦争で万里の長城の関外で虫けらのように殺される人達の物語の奥底に、胡弓の静かな調べが流れている。
「満州柏崎村」に未来の夢を懸け、一転して敗戦による悲惨な帰還の旅。
身近な人達の実話が背景に流れ、哀しさが覆い被さってくる。
国民を捨て、拉致された人を取り返そうとはしない「国」とは何なのだろう。
日本は何処で間違えてしまったのだろうかと思う。
浅田次郎は星にも時間があり、命ある者の生と死の哀しさを知る人にしか優しさは生まれてこないと呟いている。
優しさとは、大切な人を守る為に鬼になれることなのだろう。
時間は流れているようで、現実には「今」という時しかない。
しかし、過去は記憶にこびり付き、遺伝子に書き加えられ、「今の時間」に生きている。
難儀なこっちゃ。
天の恩寵でもある痴呆を、妖怪やルパン三世と遊びながら毎日を楽しんでいる。
何でもかんでも遊びにしてしまう性格に「?」ではあるのだが・・・それにしても政府高官の物忘れも酷いけどね。
柏崎日報 10月15日掲載分
翔べ、大空へ !
「気球作って空飛ばないか」との俺の誘いに、近藤正雄は「わかった、おもしぇねか、やろて!」と即答してきた。
しかし、資料と言えばヨーロッパの草原でカラフルな気球を飛ばしている少年マガジンのグラビア写真しかなかった。
京都大学の学生達が日本初の熱気球「イカロス5号」を北海道の空に浮かべたのは昭和44年年9月28日。
「京大の学生に出来て、俺たち土方やペンキ屋にやれねえことはねえだろう」と日本で2番目の熱気球作りはそんな一言から始まった。
意気込みは凄いが、気球なんて大きな袋に熱い空気を詰め込めば大空を翔べるだろうと、その程度の知識しかなかった。
増えてきた仲間と夜な夜な若葉町の大久保神社に集まり酒を飲み、夢を語り続けた。
夢と仲間と酒があれば未来は拓ける。
京都に「イカロス昇天グループ」を訪ね、電卓2台で楕円方程式と格闘し、兎に角バカでかいテトロンの袋を作ることになった。
だけど、裁断した布の山を前に呆然とした。
縫い方を知らなかったのだ。
見かねた山室の若い女の子が「私が縫ってやる !」と、彼女の2階の部屋を全部占領し完成させてくれた。
ガスバーナーは杉平の鍛冶屋が「こんなもんだろ?」と作ってくれた。
独自設計としては残念ながら3機目、日本気球連盟の登録番号は7番 (現在1600機)になった。
「こどもの日」の大洲小学校での係留実験は失敗し、青果・魚市場の駐車場でようやく成功した。
試験飛行は川西町。気球は田圃に墜落し金子修一が7針縫う怪我をしたが、それが病み付きになり今では日本有数のパイロットになっている。
失敗が夢に火を付けたのだ。
南鯖石小学校を離陸した気球は、米山大橋の手前で藪の中に突っ込み、加納から飛び立った気球は東長鳥の山の中で行方不明になった。
やっと探し当てガスを補充し、気球は再び秋の大空を飛翔し続けた。
「翔べ、翔べ !」我々は車の窓から絶叫し、やがて「かぐや姫」は刈り入れの済んだ小千谷の小粟田原に舞い降りた。
広い雪の上で飛びたい、そんな東京の仲間の夢をきっかけに「風船一揆」が始まり、今では全国から数十機の気球と仲間が集まり、小千谷の早春の風物詩として定着し、来年は43回目を数えることになる。
後期高齢者のバカな思い出話でしかないけど、夢は追いかけ続ければ何とかなるもんだ。
そうだんべ !
柏崎日報 10月2日 掲載分