『運』について
俺は運がいい。
出会い、というか「こんな人に会いたい!」と願うとそのチャンスが思わぬ形で現れる。
今までの人生は、そんな幸運に彩られている。
もう一つの「運」
まさに『危機一髪』のところで死をすり抜けてきている。
1つめはこうだ。
野田から柿崎にいたる『小村峠』
原発建設のために石材を運ぶ道路を建設していた。
雪が融けて、現場の見回りに坂道を車を走らせていたら一抱えもある石が空に浮いている。
何だろう? と思った瞬間に「落石だ!」と分かり同時に急ブレーキを踏んだ。
『ドッカーン』と石は車のボンネットに墜落し、タイヤとスプリングに飛ばされて崖下に落ちて行った。
一瞬遅ければ、フロントガラスを突き破って俺を直撃したのだろう。
凄いね。
2番目の幸運
何年の歳だか忘れたが、結婚記念日に新潟からグアムに飛び立とうと、高速を走っていた。
前日の小雪がまだ追い越し車線に残っていたらしい。
スピードを上げた瞬間に前を走るトラックのしぶきがフロントガラスに当たり、俺は無意識にブレーキを踏んだらしい。
車の後ろから左路側のガードケーブルにぶち当たり、跳ね返されて中央分離帯に前部が突っ込んで止まった。
当時の我が愛車、三菱GTOは前後グチャグチャ。
『まだ働けとか』意味も無い言葉を吐きながらドアを開けたら開いた!
さすが三菱 !
ゆるいカーブなのに後続車が無く追突事故に会わなかったこと。
高速道路の非常用電話が直ぐ脇だったこと。
これも幸運、凄いね。
3つめは現場の話、
いくつかあるんだけど、これは宮平の谷川に堰堤を造る作業現場。
まだお昼には少し時間があったけれど、7人くらいの仲間を現場から上げた瞬間、山が崩れて今までいたところは崩土に埋まった。
もしあの時に俺が行かなければ、もしあの時頭の中で警戒警報が暴れなかったら・・・・
人との出会いと意味不明の幸運。
不思議な人生を過ごしている。
安倍晋三総理
森友学園、加計学園、自衛隊海外派兵・・・
いろいろ世間は騒がしい。
第一次安倍内閣の無念の退陣で彼は魔物に取り憑かれてしまったようだ。
「日本国内閣総理大臣」であることが絶対的価値観であり、何をしたいのか分からない。
『言葉』を失い、『信頼』を失い、『己』を失っている。
特に言葉が意味をなさなくなり、権力を振りかざす鬼神となり、周囲は家畜と化した。
総理は躊躇なく嘘を言い、周囲はその嘘に会わせて公文書を破棄したと嘘を重ねる。
自民党、公明党等の与党政治家が反対行動を穫らないのは何故だろう。
これほど精神を破壊された政治家がいただろうか ?
これほど役立たずの政治家や官僚、なすべき手もない野党があった時代があっただろうか?
言葉が壊されている時代。
『切腹』も『暗殺』も無くなった時代。
最も大切なのは『誇り』だ。
『独立不羈』
日本国の中で失われたものは重い。
大谷翔平 曼荼羅チャート 投稿原稿
柏崎日報 響欄 投稿原稿
エンジェルス大谷翔平の二刀流の活躍が素晴らしい。そして何という爽やかさだろう。
我ら古代人は「根性 !」と喚き、彼は淡々とゲームを楽しみ、目を見張るような活躍をしている。凄いなぁーと驚嘆していたら、テレビで「大谷翔平の目標達成シート」の紹介をしていた。インターネットで調べると「大谷翔平のマンダラチャート」が目に入った。
我々凡人はスリランカ仏教会のスマナサーラ師の言う『文句人生』の中で藻掻いている。
自分が幸福でないのは全て柏崎市長が悪いからだ、社会が悪いからだ、他人が悪いのだ、女房が怖いからだと。日本の政治家も官僚もなっていないじゃないか、バカヤロー奴! トランプや金正恩の髪型が変だから俺たちの人生は不幸なのだと。
考えてみれば自分の不満を他人のせいにしても酒の肴になるだけで、何も解決しないのだ。本気で自分の夢を達成するために、実現に必要な課題を直視し、解決方法を見詰め直し、努力すればやがて自分の夢が叶う時が来るのだ。人生に楽しさが見えてくるのだろう。
大谷翔平は試合の後、何が足りなかったのか謙虚に反省し、努力しているという。驚いたのは高校1年の時に設定した目標達成シートには「技術」や「体力」の他に「運」を引き寄せるために「ごみ拾い」が大切だとある。不思議だが、やってみる価値はありそうだ。
76歳
よくもまぁ、我が儘ばかり言って、我を張って、人との協調世は微塵もなく、この歳まで生きてこれたもんだと我ながら呆れる。
人間社会で生き続けるためには「和」が必要で、そのためには他人の話を聞いた振りをしながら、その人が遠退いたら「くそったれ!」は吐き下すのが一番いい。
しかし、『君子』はそんな素振りを見せられないから腹に貯めて『ストレス』とする。
どのみち他所様には迷惑な人間だ。
「一期は夢ぞ、ただ狂え ! 」
そして明日は我も76歳。
いい加減にせい !
せご(西郷)どん
お天気に誘われて「夢の森」の裏山を歩いてきた。
お昼時間が遅くなって、パンを囓っていたらウサギが出てきた。
本当はクマでも出ないかと楽しみにしていたのだが、ウサギの後から友人の尾崎が歩いてきた。
クマが出たよりビックリする。
近くに住んでいて、殆ど会うこともなくなっていたからだ。
「せご(西郷)どん」を夢中になってみている。
原作や演出もあるけど、主役の鈴木某が面白い。
明治維新という歴史の大転機に薩摩から現れ、西南戦争で消えて行く。
死後、許され上野の山に返り咲く。
劇的な理想的な生涯だけに、困難な社会になると「西郷待望論」が吹き出し、中身のない人間達が我も我もとが西郷どんを気取り、社会を崩壊させて行く。
司馬遼太郎は「飛ぶが如く」で、昭和史の中で訴えたかったことは、その『西郷幻想』だという。
国家利益を考えず、役者のように「西郷隆盛」を演じただけの軍人達。
どう考えても勝ち目のない対米戦争に突き進んでしまった戦争責任者達。
彼等はどんな「算盤」をはじいていたのか?
一部の武器商人と武器製造者達とその従業員。
その人達が一時潤うだけで、戦争にかり出され、戦場になった人達の悲惨さはもっと記憶に残り続けていい。
まして『宗教』という幻想の中で、幸福を踏みつぶして行く人達の心が分からない。
金正恩よ、貴殿が求めている未来の理想像を俺は聞いてみたい。