母の待つ里
実は、母親のことはよく知らない。
母の顔を知ったのは、戦前新嘗祭で粟を陛下に献上した時の皇居前での記念写真。
母の名前も、大学卒業の時父母の氏名欄に母の名前を書かなければならなった時、初めて知った。
我ながらどうかと思うが、知らなかったのだ。
母は「おっかちゃん」だった。
その母親も、妻が生まれるのを見届けて亡くなった。
そうとしか考えられない。
昭和22年4月の7日と22日。
我5歳の時。
浅田次郎の「母の待つ里」。
この作家の好きな小説は張作霖を主人公にしたもの。
だから、この本は違和感が大き過ぎた。
この本の主題のように、今考えると仕事にのめり込み「幸せとは何か」を見失っていたのかも知れない。
でも、俺にとって仕事は楽し過ぎた。
いろいろな思い出が流れて行く。
そして、明日はからはもう10月。
「愛」とは何か
随分以前から「愛」とは何かと考えてきた。
「愛」とは無条件の行為だと思っている。
「無条件の愛」とは、正確に言えば「母親の愛」だけなのだろう。
母親は病弱だった為に、そりゃ元々体の弱い人なのに20年に7人も子供を産めばそうなると思うけど、俺はヤギの乳で育ったらしい。
そのせいか、人には角を立てて頭からぶちかませる病癖がある。
母親の「愛」が足りなかったのか?
そうじゃない。
女房が亡くなって、隙間風が吹いている。
ヨレヨレになって、認知症が倍速で進んいるの見かねていろんな人達が訪ねてきてくれる。
昨日は万里子と亜由美が、宇都宮と川崎から来てくれた。
キッチン105で裕子と合流し「3人娘」とランチ。
みんな会社草創期の社員達。嬉しかった。