御祓

2015.07.06 風の戯言


 27日に「自動車運転免許証」が戻ってきて、釈放された喜びに浸っている。
 「自動車」なんて「自分で勝手に動く車」という意味だろうけれど、人類はまだ発展途上にあるのですね。免許証がいるなんて、後世の人間が知ったら大笑いだろうけれど・・・。

 1日に、悪い過去を清算して貰い、新しく生まれ変わろうと有坂神官にお祓いをして貰った。
 御祓が終わったので今度はまじめに生きるぞ !

 ということで、2,3,4日と飲み続けた。

 いゃ−、酒が飲める、というのは素晴らしいことですね。

山形のサクランボ

2015.06.22 風の戯言


 今年もまた山形の友人からサクランボが届いた。
 家庭用に作っているものらしく、特別に甘い !

 彼が新潟大学探検部にいた頃、熱気球を作って空を飛びたい夢に駆られた何人かが、庭にあった「日本熱気球会館」に泊まり込んでいた。斉藤君はそのリーダーで、30年以上になる昔のことを思いだし、この時期になると美味いサクランボを送ってきてくれる。
 嬉しい話だ。

 当時、俺は「酒乱性人生論」を説き、多くの人を惑わせていた。
 曰く、動物の中で酒を飲むのは人間だけだ。家族も仕事もホゲ出して酒に狂うのは崇高な人間の行為なのだと。
 だから、酒を飲まぬのは「人間じゃねぇのよ」と大学生達に説教を垂れていた。
 中でも、京大生の多くがとち狂っていったのは俺の誇りだった。
 みんな偉くなったけれど・・・。

 過ぎた過去を思い煩らい、まだ来ぬ未来に右往左往するのも、他の動物とは違う人間の特性というか馬鹿らしさなのだが・・・。

 最近、体調も戻り、少しづつ酒が飲めるようになってきた。
 生ビールで始まって熱燗を楽しみ、最後は養命酒で締める。

 養命酒をブランデーグラスで飲んでいると、これがまたカッコいいのだ !

梅雨入り

2015.06.21 風の戯言


 八石山(やま)霞み葵の花の色淡し    草風

 窓に来て嗤うは誰ぞ蛍一匹       草風

 海淡く御仏参らす岬かな        草風

 昨日は岬館の親爺の葬儀で些か気が滅入っていて、今日も元気が出ない。梅雨入りのせい、なのかも知れない。

 遠くで雷鳴が聞こえ、ベッドに潜り込んで仕方なしに「文春」を眺めていたら、石原慎太郎と佐々敦行の対談に目が行った。あまり好きなタイプじゃ無いので読み飛ばしていたらしい。

 中に、信長の「敦盛」
  「人間五十年 下天の内にくらぶれば 夢幻の如くなり
   一度生を受けて 滅せぬ者の有るべきか」
 あまりにも有名で、自分も好きな言葉(小唄)だけれど

 安吾が引用している小唄として石原が紹介しているのが
  「死のふは一条、しのび草にはなにをしょぞ、
   一定かたりをこすのよ」
 というのがあるという。

  「人が死んだ後にみんな勝手なことを言いやがるが、
   死んだ人間にはバカみたいな話だ」という意味らしい。

 信長と安吾らしい。

 秀吉の辞世はバカ有名な
  「露と落ち露と消えにし我が身かな
   難波のことも夢のまた夢」
 だけれど、少し作りが多いようだ。

 人は生まれ、人は死ぬ。他に何があるわけでは無い。

 鯖石川の堤防が、最近は最愛の散歩コースになった。
 八石の山を眺め、黒姫を拝み、時により苗場が遠望出来る。

 終焉の地を故郷小千谷に定めた詩人西脇順三郎が、山本山を散歩するのをこよなく愛したという話を思い出している。

小さな宇宙人と慈母観音

2015.06.16 風の戯言


 妻にとってみると、自分の子供の子供、孫は特別な存在らしい。

 2人の子供が小さかった時、熱があるのに仕事に向かわなければならなかった心の痛みは、時折マグマのように吹き上げてくるのかも知れない。

 自分の母親の葬儀にも休むことが出来なかったことも、辛い思い出となっているようだ。

 だから、孫を自分の腕で抱き留めてやれることが何よりの幸福なのだろう。

 男には解らない世界がある。

 娘の2人の子供に纏わり付かれると、俺には向けたことの無い笑顔がそこにある。

小さな宇宙人 楓 君

2015.06.12 風の戯言


 6月1日(月) 夜10時過ぎ「生まれたよ」の電話を受け、翌2日生誕の地 鹿島まで行ってきた。

 日本を水平に横切ったような太平洋岸まで、新幹線と高速バスを乗り継いで、小さな顔を見て安心しトンボ返り。

 仕事の合間を縫って、この日しか無かったような幸せな旅だった。

 子供は順調に育ち、写真は生後10日ほどのものとか。

 これで、孫達は3人。
 俺にも、こんな日を迎えることが出来たのだなと不思議に感じている。