緋桃の里
庭のチェアで、星空を見るのが楽しい。
明かりを消せば、満天の夜空に星が輝く。
137億年の宇宙の営みのこの一瞬に、自分も生きているのだな、と思うと不思議な感動の世界に引き込まれてしまう。
今日は天気も良く、庭の掃除、野菜の苗の植え込み、花の苗を公園前の庭に植えたり、大半は妻の仕事だが、午前中に念願の作業も終わり、午後から車を走らせた。
みどりの日だから山を見て、花に囲まれた水源地のある河内集落を抜け、谷根の里に下りてみた。
谷根一帯が緋桃の林の中にあるような、そこに住む人達の温かい心がそのまま伝わってくるような、そんな風景が拡がっていた。
「たんね、
いいね」 そんな看板があった。
いい一日だった。
藍沢南城 三餘堂
朝方、目を覚ましたら雪が降っていた。
気絶し、そのまま、また眠ってしまったらしい。
二日酔いのせいでは、ないと思う。
金曜日は高田工業高校時代の仲間二人と些か呑んだ。
ただ、何とも悔しいのは、柏崎駅構内で待ち合わせた時間にも表れず、もしかしたら・・・と思い、一人残って携帯をしているヤツに声を掛けたら本人だった・・・。17年ぶりだそうだけれど、変わってしまって・・・話をしていれば、瞬時に昔に戻ってしまうのだが・・・。
夕陽を見ながら飲み始め、9時にはダウン。
いい時間だった。
昨日は、ギャラリー三余堂のオープニングパーティ。
藍沢南城先生の「三餘堂」の縁で声が懸かったようだ。
郷土の大教育者と無学なファンクラブを打ち立てた小生と何人かの人達が覚えていてくれて、誘いがかかったらしい。嬉しい話だ。
「三餘」は人生を心豊かに生きるために「読書」が重要であり、「時間がない!」のは努力不足で、「冬」は年の余り、「雨」は***の余り、「夜」は時間の余りと三つの「余り」を大切にすれば豊かな時間を産み出すことが出来る・・・そんな意味だった、と思う。
出典は知らない。
「晴耕雨読」
現代人は忙しく成り過ぎ、ただ一度許された「生」の時間を無駄に費やしているのではないか ? そんな気持ちを再確認する良い会だった。
連休には南条の南城先生のお墓参りをして来よう。
草に埋もれていなければいいのだが・・・。