元日

2017.01.02 風の戯言


 新しい年が始まった。

 昨年はパラオを放浪していたので、今年は真面目にお正月。

 元日は神社の2年参りは忌み、先祖のお寺清瀧寺、実家のお寺安住寺、自分の菩提寺周広院、過去現在未来のお寺周り。

 今日は秋雄兄のお墓、絹子姉のお墓、実家のお墓参り。

 007は2度死ぬ、じゃないが人間は2度死ぬのだそうな。
 一度目は生命の終わり、そして二度目は人から忘れ去られた時、だそうだ。
 だから、石の墓標を立てるのは永遠に忘れず生きていて欲しいという願いなのか。

 小さい時に両親、祖父母に分かられしまった自分には、誰かにと見守られているような想いと気配を感じていた。

 この世には、俺にはまだ分からない何かがあるのだろう。

 
 お正月、子供達も孫達もみんな元気なのが嬉しい。

 今日は子供や孫達もそれぞれの家に帰り、静寂が戻ってきた。

AI (人工知能) の未来

2016.12.25 風の戯言


 東大入試に挑戦する「東ロボくん」が「今はやめよう」となったらしい。

 何でだろう? 

 センター試験では難関私立大は「合格圏内」に入ったらしいい。数学、論理、統計は得意なのだが、例えば生物の問題で「ネズミの脳下垂体を除去したらどうなるか」という問に「血が出るか、死ぬだろう」との答え。「ホルモン分泌がなくなり、尿か増える」が生物学の正解らしいのだが、問の意味が全く判らなくなっているのだろう、という。

 我々クラスで言えば「訳が判らない」

 東大卒でも「訳の判らん奴」も多い。古い友人で東大を3回出た、と抜かしている奴がいた。3回も卒業しても「訳の判らぬ」としか言いようがない人もいたけれど。

 要はAI (人工知能)に出来る事は任せ、出来ない事を人間がやる。

 例えば女房の機嫌が突減悪くなる。
 何故か? どうしたら元に戻るのか ? 

 狼狽えながら頭脳をフル回転させ、試行錯誤の末に窮地を脱する。

 こんな事AI (人工知能)に任せていたら大変な事になる。

 「仕返しせよ!」なんて指令が出たらどうすればいいんだよ。

  いやいや、生きているって大変なんだぜ。

クリスマス・イヴ

2016.12.23 風の戯言


 今日はクリスマス・イヴ キリストの聖誕祭前夜。

 我ら曹洞宗無神論派としても北京のうま煮ラーメンで細やかな2人だけのお祝いの宴を張った。

 キリストはバイブルを残してくれた。
 生きるのに迷った時に、その一節に救われるような言葉が鏤めてある。

 我ら曹洞宗無神論派には般若心経、修証義があるがもう少し現代の言葉に直し、迷える人達に寄り添い、悩みを聞き、語りかける優しさがないと、迷える人を救えないのではないか、と思う。

 我々が仏教に接するのは葬儀の時くらいになった。有り難い、分けのわからない御経を聴く忍耐を強いられ、挙げ句に法話と題してクソ坊主のお説教を聞く事を強要される。

 「仏さん」という人質を取っているからテロを起こす人はないが、坊主ももう少し考えた方がいい。お葬式を現代風にリニュウアルせよ。誰も行かなくなるぞ。

 「職業としての宗教家」を自問自答して欲しい。
 マックス・ウェバーを呼んでみるのも良し、或いは修行の中で、宗教家の目的が何なのか、自分はどうすればいいのか、もだえ苦しんでみて欲しいと思っている。

 今一番必要なのただ一度の人生を納得して生きるための宗教だと思っている。

 

おう、脳 !

2016.12.21 風の戯言


 友に引きずられて長岡技術科学大学開学40周年記念講演会に出かけてきた。講師は長岡出身の斉藤元章氏、テーマは「エクサスケールの衝撃」
 サブタイトルは「次世代スーパーコンピュータが壮大な新世界の扉を開き、人類がエネルギー問題、衣・食・住問題から解放される日」

 なんじゃこりゃ? 長岡技科大も怪しい世界に入り始めたか・・・。

 地球上の生物の中で屁理屈を捏ねる「脳」を持ったものは人類だけなんだろうが、その人類らしきものが出現して25万年、農耕が始まったのは1万年前、300年前の産業革命、100年前からの科学技術革命、30年前からの情報通信革命。人口増加速度はべらぼうなスピードになり2024年には80億人になると予測される。人口増加と同時に産業革命、情報通信革命に匹敵する革命が今後10年、或いは5年で起きる可能性があるという。

 まあいいさ、それでどうなるの ?

 簡単に言えば生物脳と機械脳が合体して宇宙全体に拡散される、という。

 「おう、脳 !」 だ。 絶対にイヤだね。

 だいたいさ、酒飲まないロボットの「脳」なんて、ろくなもんじゃねぇんだよ。遊びたくないね。

 そんな事より、泣き叫ぶシリアの子供達を何とかして欲しい。

年寄りの読書

2016.12.18 風の戯言


 書棚から古い本を引っ張り出したり、倅からの宿題本だったり、
仕事上で目を通しておかなければならない、買ったばかりの本だったり、休日はどれから読むか、迷うのも楽しみの一つ。

 宿題本「カストロ 銅像なき権力者」戸井十月が面白く、本当はメモ付けながら読みたいのだが、次の順番を買ったばかりの「エクサスケールの衝撃」が待っているし、カストロの中にはヘミングウェーの「老人と海」が顔を出し、またまた「日はまた昇る」や「誰がために鐘は鳴る」に走りたくなり、少し時間のある休みは騒乱状態になる。

 高齢者の読書の楽しみは、読んだ後から忘れてしまう能力。
 だからどんな本も新鮮、菜は頭なんだが「読んだような記憶」が所々に残っている。
 記憶に残っているのは「言い回し」だけ、要点もスジガキも削除されている。

 古い本は、妙な新鮮さ・・・いや腐りかけた・・・そんな感じ。

 昔はイライラしたが、最近はほんのりと耐えている。年の功だね。

 「エクサスケールの衝撃」は正真正銘の衝撃度。後が楽しみだ。、