国会演芸場
ここ連日、知識も良識も戦略もない「ゲス芸人」が日替わりでステージに上がっている。国民の忘却力を支えに早変わりのような「バカヤロウ」にフラッシュをたき続けている。
知識や性格が破壊された「ゲス芸人」の下劣なバライティを見せられる立場としては「何とかしてくれ!」と叫び出したい。
参ったね。
「恥」を背骨に据え、「恩」を忘れず、『卑怯者』は死に値する。自らに恥じることあらば、迷わず腹を切る覚悟がなくてなんで『責任を取る』などと戯言を抜かすのか。
10人くらいの国会議員を骨のある奴は『切腹・介錯』の栄誉を、後は市中引き回しの上獄門、残りはテロの餌食だな。
さぶろう 害なくなった。
もののふ
微熱と咳が続き、早く人にうつさないとこっちまでおかしくなってしまう。
と言うわけで、一日ベッドの中。
ニュース番組を見ていれば、安倍首相が「もう、やってられねぇーよ」と何時切れるのか楽しみになってきた。
隣の朴お姉さんも、習ちゃんにフラレテ、本格的に狂ってきたみたいだし・・・。
こんな時は、本でも読んでいるに限る。
評論家ぽく、地政学的な解説で納得していては、世の中の動きの真因が判らなくなってきている。資源争奪戦、宗教上の戦争、ユダヤ人財閥の繰り人形、ステグリッツ博士の「戦争経済」、アンドルー・ファインスタインの「武器ビジネス」あたりが現世をひもとく解説書になりそうだ。
人生は揺れ動きなから進む光の時間。
釈迦の掌で、納得行く「自律」が必要なんだろう。
司馬遼太郎の『武士』にもう一度触れてみたい。
石塚修は藤原藤太秀郷の末裔でござる、なんてね。
朋あり近間より来たる・・・
三国志演義における呂蒙の言葉だそうだ。
久し振りに近くの友にあった。
中々普段会えず、久振りに昼食を一緒した。
会えばいつもバカな話で盛り上がるのだが、今回は国会でいろいろあり、彼は高石法務大臣の放送統制の言葉に怒り狂っていた。
何処まで真面目な議論なのか、後追いで新聞テレビを見ているが、阿部ちゃんの政府は日本を何処に連れて行きたいのか、国家経営の利益目標が見えてこない。
彼と経営学の話をし、我々ももう少し勉強すべきだと感じた。
今丁度、原田伊織の「官賊と幕臣たち」をよみ、蓮池徹の「拉致被害者達を見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」、ケント・ギルバートの「自虐史観のあほらしさに気づいた日本人」、馬淵睦夫「世界を操るグローバリズムの洗脳を解く」は現在進行形の諸々のニュースを味わうには絶好の香辛料だ。
戦後70年、そろそろアメリカやマスコミから掛けられた催眠から解き放たれる時期なんかも知れない。
こんな事が語り合える仲間が近くに居たことと、自分の変身に感謝