連休、終わり。

2012.05.06 風の戯言


 孫帰り花一輪の夕餉かな

 春の連休も今日で終わり。
 痴呆症に徹しようと仕事のことは考えないようなしていたつもりだが、寝ても起きても頭の中は自動的にスイッチが入っているらしい。気がついた時には電源を落とし、山を見ている。嫌な感じ・・・。

 酒を口にしない日が1ケ月以上続いている。
 体中の酒毒を抜くためにはもう少し時間が必要なのだろう。酒乱生人生論の主宰者としては、酒を止めるわけには行かない。酒の楽しさと効用を熟知しているからではあるが、人生は酒を如何に楽しく飲めるかに掛かっているし、この楽しさを知っているのは人類だけだろう。猿か宴会をしているとは浅学にして知らない。
 しかし、酒を飲めない効用、と言うのは確かに存在する。高齢になって脳細胞の死滅の速度にブレーキを掛けているようにも思う。言い訳じゃないよ。自己観察の中間報告。

ドクトル・ジバゴ

2012.05.04 風の戯言


 池の面に五月の風の遊び行く

 連休の後半は雨模様、只新緑が美しく家に居たたまれず、上越方面に足を伸ばした。柿崎から潟町には幾つかの池があり、地元の人達が大切にしている。杉木立や雑木林の中に遊歩道があり、人気のない道の散歩を楽しんできた。

 会社の経営者であれば肩凝りなんて職業病みたいなものだが、さすがに週に1度の針、2度のマッサージとなると重傷で、治療費も大変だ。
 4月3日(火)の大風以来、一滴の酒も口にしなく、血圧の薬と筋肉弛緩剤?を飲み続けている。連休の間にドリンク剤は止めることが出来たようだ。少しづつ、体調が回復しているようだ。
 
 治療法は森林浴と音楽。
 古いCDを聴いていたら「ララのテーマ」が流れてきた。ローソクの灯だけで聴いていると、身体の奥底から熱いものが吹き出してくる。
 「ドクトル・ジバゴ」
 革命の時代に翻弄されながら、オマー・シャリフとジュリー・クリスティが織りなす愛は、素晴らしすぎる映像と「ララのテーマ」のメロディが心の根底を揺さぶり続ける。

 あの映画の始まりから最後まで記憶が心を波立てていく。

山本山に遊ぶ

2012.05.03 風の戯言


 朝の雨も上がり、青空が少し見えてきたので小千谷の山本山まで車を走らせた。

 山の麓の西谷で、毎年「風船一揆」を開催している。スキー場があった頃は、山頂から大勢のスキーヤーが松明を掲げて滑り降りてくる。雪原の花火と、熱気球に火を灯す「バルーングローが続き、思い出の積み重なった土地だ。

 山頂からは360度の展望が開け、郷土の詩人西脇順三郎がこの地を愛し、自らの終焉の地として選んだ。山頂に詩碑がある。

  山あり河あり
  暁と夕陽とが
  綴れ織る
  この美しき野に
  しばし遊ぶは
  永遠にめぐる
  地上に残る
  偉大な歴史

 大学の頃、詩を学びたくて、トインビーの研究者として有名だった山本新教授に、誰に会えばいいか聞いた。先生に大学図書館の人を紹介して頂き、改めてその方に伺ったら「西脇順三郎」を薦められ、触れてみたが何にも理解できなかった。

 後年、小千谷の出身であり、晩年を古里で過ごすことを選んだ偉大な詩人であることを知った。当時の星野市長は「小千谷最大の誇り」と弔辞に結んだ。

 「文化」というものの偉大さを味わった一瞬だった。

 人は皆、死を迎える。
 迷いながらも、信ずる道を生きればいい。
 どのみち、大した違いはないのだ。
 そう思っていたが、しかし、違うのかも知れない。

 追伸
 泥沼のような横浜の生活から実家に戻り建設業に未来を求めて足掻いていた頃、近くの寺に合宿を組んだ若い東大の先生に「ジャン・ジュネ」を読めと薦められた。詩人であり、窃盗や乞食、男娼から麻薬密売まで繰り返し、サルトルから誓願により恩赦になったという、この「化け物」ももう一度何処がで触れておかなくてはならない。宿題が多すぎる。
 

ゴールデン・ウィーク

2012.05.02 風の戯言


 山が新緑に膨らみ、庭の桜が満開を迎えている。
 桜の木は年々小さくなっているが、花の豪華さに変わりはない。
 山の若緑は広がり、5月の連休、人の心を和ませてくれる。

 人も青春に立ち返るのか、女性への積極的な興味は薄かったけれど、最近は胸を焦がすような想いになってきた。痴呆症の悪化による「痴恋」なのか、青春の残り火が意外と燃料が残っていて爆発するのか、自分で制御できなくなってきている。
 「***ちゃーーん」なんて言い始めたら選挙で決着を付けなければならなくなる。

 「人恋しくてこそ春なんだ。

葉室 麟

2012.04.30 風の戯言


 葉室麟の本に沈殿している。

 
 日本古典の詩歌に詳しく、自分には俳句や和歌は異星人の文化のように思えてしまうのだが、葉室の本を読んでいると、日本文化に触れもせで、このまま今生を閉じるのも寂しい感じにさせる。
 日本には熱い想いがあったのだなぁ・・・。

 中天に半月がかかり、裏の田圃から蛙の鳴き声が聞こえる。誘われて、電気を消して庭に出てみた。月と星と雲と、不思議な光を混ぜながら、時折、遊女の香りを含んだ艶めかしい風が触れていく。

 忘れていた、古い思い出が蘇りながら、艶やかな姿の舞子達が、目の前に舞い戻ろうとしている。

 妄想と現実が判らなくなり、意識が朦朧としてきたようだ。

 写真は柏崎墓園にて