70歳死亡法案可決! 原稿メモから
「70歳死亡法案 可決 ! 」
石塚修
2020年2月21日、衆議院特別委員会は「70歳死亡法案」を賛成多数で可決した。これにより日本国籍を有するものは誰しも70歳の誕生日から30日以内に死ななければならなくなった。政府は安楽死の方法を数種類用意する方針で、対象者がその中から自由に選ばれるように配慮するという・・・・と、そんなギクリとする小説が発売されている。著者は垣谷美雨。2012年2月。幻冬舎。
財政破綻寸前の日本政府は、高齢化により70歳以上が30%を超え、国家財政の行き詰まりを解消するために「死亡法案」を強行採決した。法案は2年後から施行され、初年度の死亡予定者数は既に70歳を超えている者も含めるために約2200万人に達し、次年度以降も毎年150万人前後で推移するという。
いつかこんな議論が始まるだろうと予測していたが、やはり出たか、という感じの本だ。本の帯に、「日本のために死んで下さい」、「2年後、やっとお義母さんが死んでくれる」とある。本音が出過ぎていて、怖い。
古来、不老長寿は最高の願いであった。しかし現代、「長寿」は本当に幸福なのか? 人間が必死になって求めてきたものに、今は疑念を超え、絶望すら感じ始めている。
3.11東日本大震災が与えたものは「人は努力すれば幸せを掴むことが出来る」という神話の崩壊だろう。大災害や戦争で日常を奪われ、絶望の淵に追い詰められたことは何度かあったが、人は未来を信じ不死鳥のようにまた立ち上がり、以前よりも大きな幸福を掴んできた。だが3.11以降、その価値観が根底から揺らいでいる。
日本の高齢者は3000万人を超えたと言われ、世界の人口も70億を超え、2050年には90億人が予測され、人間から食料と夢を奪おうとしている。
人間は「老衰による自然死」こそ人間の理想と考えてきたけれど、現実は多くの人はベッドで横たわる「植物人間」で最後を迎えることが多くなった。長寿が「幸せ」だと信じるから医者は自らの使命に心血を注ぎ、親族は介護に多くのエネルギーを割いてきたのだけれど、しかし、今それは「みんなにとって幸せ」なのか。
人生とは何か?
新たな問い掛けが始まっている。生きる意味は何処にあるのか。人は皆その問いに自分の答えを見つけ出さなければならない。「人生は無」だろうけれど、絶望の先に微かな未来があった。人間の最終死亡率は100%、何時か必ず死ぬのだから「生きている、今」を大切にしなさい。結局それしかないのだろうけれど、今は虚しさすら漂わせはじめている。
願っていた「長寿」が実現し、心の密度は薄くなってしまった。「姥捨て山」ではない、与えられた生命を全うできる「何か」が必要なのだ。
俺も、もう70歳を過ぎてしまった。
極上のワインは命に勝る。 原稿メモから
極上のワインは命に優る、と言いますよね、知ってる?
まぁ、酔っ払いの戯言ではありますが、我が「唯酒論」の立場から言えば自明のことなんです・・・「酒乱性人生論」をご存じない? 知らねぇぞそんなのって・・・あぁ、貴方は不幸な人だ。
長い間、人間をやっていると人生のどこかで「人生とは何だ?」なんて考えるものです。ナニ? 考えたことも無い? 話にならねぇな、まぁいいや。「人生とは何だ?」とか「人生如何に生くべきか?」なんて考えたとします。答えは出ない。出るはず無いじゃないですか、設問が間違っているんだもの。いや、ごめんなさい、このややこしい問題を「美味い酒を飲む為にどう生きたらいいか」と読み替えてあげれば答えは案外と簡単なんです。「酒乱性人生論」なんて高度に知的で難解な哲学に聞こえますが、なにA4一枚にも満たない人生論なんです。2ページ目からは白紙で、それは貴方が書き記してゆくところ、そう行動でね。議論だけを楽しみ、結局何もしないってのは寂しすぎるよ。
「人生如何に生きるべきか」という問いを「美味い酒を飲む為にどう生きたらいいか」という問いに置き換えてやると知的で行動力に富んだ答えが見つかる。例えばお酒を買う為に経済的行為として働く必要がある。給与はそこそこでも楽しい仕事がいい。そして此処からが肝心なのだが、時間を忘れて飲める仲間が必要だね。君子の交わりは水の如し、と言うけれど心を許せる友達は何ものにも代えがたいね。それにね、話の種、こいつが大切だ。万里を旅し万巻の書を読んだもの同士が語り合える、なんて言葉があったと思うが、そいつだよ。まぁ、何でもいいんだけどね。
「唯酒論」なんて馬鹿な話をしてるようだけど、そうそう、人間と動物の境界って何処か知ってますか? そう、酒を飲むか飲まないかなんですよ。猿酒? あれはウソ。仮にそれを認めたとしてもですね、税金払って酒を飲む、まして夜の巷で大金はたいて酒飲んでいるなんて人間だけだね。俺の知ってる限りだけど・・・。逆に言えば酒を飲まねぇ奴は人間じねぇ、ってことになるんだけど、理論上多少無理があるかな。
また脇道に反れるけど醸造酒は文化的で蒸留酒は文明的、そんな感じしませんか。醸造酒は神の領域に関り、蒸留酒は化学製品って感じなんだけれど、ただどちらも長い時間寝かせると、ビックリするほどの化け方をする。時間って不思議だよね。全てのものが変化する。
そうそう、トンネルワインの話だった。あ、これも説明が必要だね。柏崎には「ぶどう村」がありワインを作っている。笠島には旧信越線の赤レンガのトンネルがそのまま残されている。この2つは単独でも面白いのだが、ビーカーの中で掻き混ぜると化学変化を起す。柏崎には面白い「元素」が一杯あってね、巧く組み合わせると核融合が起きる可能性がある、そう思いませんか。面白い町ですよね。また話がそれてしまった。
「ぶどう村」の2002年もののヴィンテージがいける、そんな噂を耳のしたのは昨年の秋だった。ふぅーん、ぶどう村のワインがねぇ、飲んでみっか。その直後、新潟産業大学の村山実教授と雑談しているときに、「時間の缶詰」と言う話題になった。地方が都会に勝つ手段は時間を利用することだと。地価の高い都会では絶対不利な条件、資本回転率が低くても勝てる方法、それは「時間」による付加価値の増加だと。真似を考えても追いつくことが不可能なのは時間だと。ワインとトンネルが化学反応起した瞬間だった。
善は急げ、行動は早い方がいい。早速中村和成氏が動き出した。悪戯な悪童がそのまま大人になった様な男なのだが、楽しい話なら1を聞けばもう走り出している。世の中、やってみなくちゃ判らない。失敗も多いけれど、それはそれで楽しいことなのだと。
市役所農林水産課の内山課長に聞いたら笠島のトンネルが空いていると。ぶどう村の遠山氏に無理を頼んでワインを数百本(100以上は「数百」、300以上は「1000近い」と言う気持ちとしての単位表現)トンネル内に貯蔵してもらった。村山教授は自作の温度計と湿度計を設置し記録し始めた。芳醇な香りの想像が頭を占拠し、神の祝福が始まった。
美味いワインは長い静かな時が必要だという。短くて5年、出来れば30年は神の懐に抱かされて、我らの喜びの時を待つ・・・たまらねぇ!
「オイ! 5年も待っていたら死ぬぞ、それにさ、美味さが時系列でどう変化するか、こいつはきっちり調査しておかないと後悔するぞ」って春先から騒ぎ出した。「3ケ月で美味くなるわけないだろう、落着け!」課長はそう言って渋い顔をした。あいつは人間じゃねぇ。
秋になった。ワインの新酒の便りが届き始めた。「もう、待てねぇ、少しだけ!」ある会で話の種に何本か並べてみた。レッテルに薄らとカビも生えている。一口含んで「通」が言った。「ほぅ、いいねぇ。スペインのワインのような・・・」その先はもういい、美味いことは確かなようだ。俺達も飲んでみた。「馬鹿いい具合じゃねぇか!」
嬉しくって、もうこうなったら突っ走るしかない。柏崎風の会、トンネルワインシンジケートの名で仲間内に呼びかけて試飲会を開いた。大成功だった。柏崎のワインを見直し、洒落たコメントをつけてみんな大騒ぎし、楽しい時間が流れていった。
正式なソムリエの飯塚信雄さんの一言が忘れられない。「ワインはその年の天候によって味が変わります。よく出来た年も、不出来な年もあります。ワインはその年のことを思い出しながら味わう、それが一番大切なことのように思います」
この年、何があって俺は何していたのだろう。2002年のヴィンテージが注がれたグラスを眺めながら、俺は眩暈がしそうになった。何にも覚えちゃいないんだ。
酒は百薬の長と言う。それは半分正しくて半分は大嘘だ。でもそれは身体にではなく、涙を拭きながら走り続けている人間への、神の励ましという意味なのかも知れない。
KISNETの10年 原稿メモから
KISNETの10年
インターネットの激動の中で
創風システム 代表取締役 石塚 修
柏崎でインターネット「KISNET」を開局して10年が過ぎた。
正直言えば、この10年の間に何があったのか良く覚えていない。決して痴呆が始まったわけでもなく、ボケは天性のもので・・・(何を言わせるのか!) とにかく新しい技術と格闘している内に10年が過ぎてしまった。その前のパソコン通信の時代を入れると約20年、
この業界がドッグイヤーと呼ばれる通常の世界の7年分だとすれば、140年この世界で生きたことになる・・・もう、南無阿弥陀仏の世界でっせ!
さてさて、平成7年12月24日、クリスマス・イヴに地域への最高のプレゼントをと、思いついたインターネットの上位回線速度は45Kbps、現在は1Gbps2回線だから2万倍にはなっている。約20年前、パソコン通信を始めた時は300bpsだから100Mbpsとして・・・解り易く言えば45Kbpsが45センチの畦道だとすれば、現在各家庭に入り始めた100Mbpsの光ケーブルは1000メートルの道幅だと考えればいい。パソコン通信の300bpsは3ミリ・・・およそどんな進化なのか理解して貰えると思う。
文字データを送るメール機能だけでもう限界に近かった通信は、私にも理解できない世界へと拡大している。
インターネット販売は取引高 兆円を超え、インターネットの普及で証券取引は一日取引40億株に近づき、旅行やオペラの予約は勿論、映像を使った医療相談、TV配信などあらゆる方面でインターネット無しではいられなくなっている。
携帯電話と組み合わせれば、もう本当に何所に居ようが関係は無い。名刺にはメールアドレスと携帯番号だけで用事が足り、郵便番号や住所なんて不要なのかも知れない。一度、信頼のネットワークが出来てしまえばもう柏崎に、日本に居る必要が無いのだ。
通信インフラも技術も利用方法も素晴らしい進歩を遂げ、道路・電気・ガス・水道などのライフラインの最も重要な価値を占めるようになった。他のライフラインは停まっても代替が利くが、例えば発電機やポリタンクで水を運ぶ等可能だが、情報通信だけはそう簡単にいかない。中越地震でその重要性を嫌と言うほど知らされた。情報のないのは暗闇より不安だ。
便利と言う世界に何の意味があるのか
が、ここに来て困ったことが起きてきた。生来のへそ曲りがかま首を擡げ始めたのだ。
雅子妃の父君小和田氏が柏崎高校で講演された時、明治維新以降日本人は精神の開放が未だなされていない、と話された。答えはわかるのに言葉にならない、そんなもどかしさがあったが最近どうやら回答用紙に書けるような気になった。
要は
テレビや新聞等のマスコミは反吐が出そうなほど同じ価値観で報道し、我々もまたそれを受けて隣人との友好よりも有名人の生活の断片をあたかも共通の友人のことのように話題にし、小泉氏の悪魔的な手法に踊らされている。もっと異端が居てもいいじゃないか。
世の中は如何様な人生の可能になり、価値観の多様化から、日本はもう多民族国家だと言い放っているけれど、どうもまだ精神の自由を勝ち取っていないようだ。
不思議なことに、人生は一回だけだ。たった一度だけ許された生、と言ってもいいのかも知れない。一方的に押し付けられた契約書みたいに、契約期限は定まっていない。
結論
それほど便利なものが充満してきたのに、人間は本当に幸福になったか、と言う事。
風船一揆
「ようでした」と言うのは、高齢化とともに一日中雪の上にいるのは大難儀になってきたから、夜の交流パーティだけ出席したので「皆からの情報」によるもの。
しかし、昨日は荒れ模様の予報をひっくり返したような、穏やかなお天気。そして今日も小雨が午後からひっそりと降るような感じ。
久し振りに皆に会えて、中には20年振りくらいの気球マンも。
一杯のウーロン茶で、こんなにも大勢の人たちと話し込めるなんて・・・俺の隠れた才能か ?
帰途、街の明かりを見ていると不意に込み上げてくるものがあり、走りながら不可思議な感情に浸っていた。
来年は40周年。
今生の思い出に、長い夢だった「朱鷺」の気球を3機ほど作りたい。