陽だまり

2011.11.17 風の戯言


 経済状況の厳しさが増してくる中で、社員が目の色を変えて動き出している。

 安心したわけではないが、そんな手ごたえに気が緩んだのか、今日は殆ど一日ベッドの中。

 古いけれど、山口百恵の曲を思い出している。

 落ち葉の上に柔らかな秋の陽ざし。
 収穫の時を終え、ゆっくりと休養の季節に入った畑。
 採り残した柿が青い秋空に輝いている。

 殆ど恍惚とした気分の中でハッと自分の姿に気が付いた。

 これって、痴呆症の風景ではないか。

 

秋は流れゆく

2011.11.13 風の戯言


 水野和夫の「終わりなき危機、君はグローバリゼーションの真実を見たか」を興味深く読んでいる。
 細かなデータ解析、それは現状解析の重要な項目なのだが、そんな細かなことは俺の頭では理解できない。ただ、「そうなのだろうな」とだけ受け止めている。
 ただ、歴史的に「現代」をここまで解りやすく語っている本は少ないように思う。16-17世紀に起きた「利子率革命」が現代も同じように起きている、という。
 投資に対するリターンが当てにならなくなれば、資産家や投資家のお金は利益を求め、より先鋭的な行動を取らざるを得ない。バカな人間から死なぬ程度に利益を食らいつくす。
 アメリカでは1%の富裕層が全体の20%の資産を持つといわれている。

 理解できないながら読み進めている。
 2011.9.11(同時多発テロ)、2008.9.15(リーマン・ショック、100年に一度)、2011.3.11(福島第一原発事故)はそれぞれ「1527年の神聖ローマ帝国皇帝兼スペイン王カール5世によるイタリアの略奪」、そして「1000年に一度」の津波による原発の破壊が象徴する「現代の終わり」と言うことなのかもしれない。

 時代は大きく変わってゆく。その変わり目の真っただ中にいることは、何となくわかっている。

 どうなるのか? と言うより「どう生きて行くか」の問題なのだろう。

 八国の山は今日も静かな、何時もの佇まいで横たわっている。

南鯖石小学校閉校記念式典

2011.11.12 風の戯言


 南鯖石小学校が89年の歴史に幕を引き、来年4月から中鯖石小学校と統合される。

 大正10年、石曽根、山室、大沢と3ケ所にあった学校を現在地にまとめた。石碑に統合者として佐一爺さんの名前が刻まれている。閉校式典は孫として感じるものがあった。
 古い仲間たちと、自分達の小学生だった頃を語り合う。衝撃的なのは今の全校児童数30人。自分達の頃は1学年150人、全校で1000人と言われていた。何ということなんだろう。頭で理解していたつもりで、これは本当に衝撃的だった。
 地球上は人口が増え、地域は急激に過疎化している。

 ただ、懐かしさと、自立点確認のため参列した中で、温かい懐かしい顔に囲まれ、孤独感は随分と和らいだ。

 これが故郷なんだろうなぁ。

 写真は閉校記念碑の除幕式。
 

柏崎市安田 明神の秋

2011.11.10 風の戯言


 毎年、この風景が頭から離れない。
 本当は午前中、イチョウの落ち葉と古い民家の佇まいが何とも言えないのだけれど・・・景色を遮る電柱などがぶち壊してしまう。
 現代に、後世に残せる「美」があるのだろうか?

京都、秋の旅

2011.11.05 風の戯言


 毎年、秋になるとバカの一つ覚えのように京都・奈良を旅している。駅弁を食らい眠るだけの、5時間ほどの電車の旅が楽しく、気の向くままにお寺や神社を訪ねている。
 今年は清水寺と嵯峨嵐山。帰りはお天気に誘われて二条城近辺を歩いてきた。何も考えずに、景色に見とれてフラフラと歩く自由を久し振りに味わった。いいもんだ。