春よ来い

2006.02.09 風の戯言

 雪国小千谷の春を呼ぶ風物詩「風船一揆」が近づいた。
 今年は2月25日、26日。30周年ということもあり、全国から40機を越える気球が集まってくれる。
 会場は山本山の近くに広がる西中の雪原。一面の雪景色の中を色とりどりの熱気球が飛び立っていく。実に壮観であり、詩情もあり、まことにいい。
 夜はその雪原に20機ほどの熱気球を並べ、一斉に火を入れると大きな提灯が、無数のろうそくの灯とマッチして、写真マニアの絶好のポイントになっているらしい。
 背景には花火が打ち上げられ、山本山からスキー滑降のたいまつ行列が降りてきて、雄大なスケールの大きいお祭りが人々を楽しませてくれる。

 その後、市内の大きなホールで全国各地から馳せ参じてくれた気球の仲間達と市民との交歓パーティが祭りをさらに盛り上げている。
 話は此処からなのだが、パーティがクライマックスを迎えるころ、恒例の「春よ来い」の大合唱が沸き起こる。自分で盛り上げておいて何だが、歌詞がよくわからない。だからいつも1番だけが延々と続くことになる。
 これじゃぁ成長がない、とインターネットで調べてみて、便利な世の中になったものだが、作詞は相馬御風で作曲は弘田龍太郎、大正12年1月20日作曲だということがわかった。

 御風の作詞リスト、弘田の作曲リストを眺めていて、大正という時代の何と豊かだったことか、と思う。生活は大変だったのだろうが、今となればあの詩情豊かな時代が切ないほど恋しくなる。

 「叱られて」   清水かつら作詞 弘田龍太郎作曲
 
  叱られて
  叱られて
  あの子は町まで お使いに
  この子は坊やを ねんねしな
  夕べさみしい 村はずれ
  コンときつねが なきゃせぬか

  叱られて
  叱られて
  口には出さねど 眼になみだ
  二人のお里は あの山を
  越えてあなたの 花のむら
  ほんに花見は いつのこと

 昭和20年代の鯖石の風景が蘇ってくる。

節分

2006.02.03 風の戯言

 今日は節分、明日から春。
 だけど、今夜は吹雪。いいなぁ、この季節感!

 雑木林の枝の先はもう赤らみ始めている。

明日に架ける橋

2006.02.02 風の戯言

 チャンネルを回していたらBSでサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」が流れていた。忘れかけていた曲。1970年と言えば日本は学園闘争で荒れていた。その御茶ノ水を離れ、俺は故郷に戻って建設現場で働いていた。自分の未来はまだ見えなかった。

 明日、ある青年に会う。伝えるメッセージとしてはキザ過ぎるし、俺の伝えたいことはもっと違うことなんだと思うけれど言葉が見つからない。
 生きていく為には心を癒し、勇気づけてくれる「何か」が必要だけれど、闘って行くにはもっと違う何かが大切なんだ。それでいいのかどうか、未だによくわからない。

 
 When you’re weary, feeling small
 君が疲れて、しょげているなら
 When tears are in your eyes, I will dry them all
 瞳に涙があふれているなら、僕がすべてふいてあげる
 I’m on your side, when times get rough
 君のそばにいるんだ、辛い時だって
 And friends just can’t be found.
 友達が近くにいなくても
 Like a bridge over troubled water
 荒れた海にかかる橋のように
 I will lay me down
 僕が体を横たえるから
 
 When you’re down and out
 君がうちのめされ
 When you’re on the street
 道で立ちすくんでいて
 When evening falls so hard
 ひどい夕暮れになったら
 I will comfort you
 慰めてあげるよ
 I’ll take your part
 君の代わりになる
 when darkness comes
 暗闇が襲い
 And pain is all around
 痛みでたまらないなら
 Like a bridge over troubled water
 荒れた海にかかる橋のように
 I will lay me down
 僕が体を横たえるから

 下記から借用している。いいページです。是非!
 http://www.musiker21.com/bridge.html

坂の上の雲

2006.01.30 風の戯言

 「坂の上の雲」を読んでいる。
 今、旅順が陥落しバルチック艦隊がインド洋に差し掛かっている。
 明治という時代が浮き出てくるようだ。ある意味眩し過ぎるような時代にも、この国の変わりようのない病理が見えてくる。
 司馬遼太郎は何が言いたかったのか?
 彼が「ノモンハン」を書いていれば、いや、やはり書けなかったのだろうな、とそんなことを考えている。

 組織の中の「私」の問題なのかも知れない。
 組織の行動原理に私情を優先させたらどうなるか。価値基準を明確にし行動することの重さと、その反面の虚しさ。

 南無阿弥陀仏、だな。

雪の夜に

2006.01.28 風の戯言

 書斎兼寝室、学生下宿のような部屋の窓の高さまで雪が積もっていて、明かりが届く範囲は白く、垣根の先は闇に閉ざされている。静かな夜だ。
 いつの間にか1月も終わろうとしている。少し早い雪に驚かされたけれど、この時期この程度の雪ならそんなに苦にならない。もう2ヶ月ほど耐えていれば、また温かい春が来る。
 庭の、今は凍りついたような梅の枝が、そんなことを話しかけてくる。