餌と食事

2015.12.17 未分類


 庭が白くなった。
 10センチくらいの積雪があり、冬の臭いがしてきた。

 まだ雪が重いから凍てつくような寒さにはならない。

 「酒乱性人生論」で、動物で酒を飲むのは人間だけだから、酒を飲まないのは人間じゃない・・・嘯いている。

 最近になって「餌と食事」を考えるようになった。
 動物は、昆虫もそうか?・・・、生きるためには「食わねばならぬ」。だから生きるために食うのが「餌」で、人間が食う「餌」は、出来れば「食事」と言いたい。
 美味しいモノを蘊蓄傾けながら食べるのは楽しい。いろいろな場面で必ず「食事」が出てくるのは、出された共通の料理を一緒に食べ、「美味しいですね」なんて抜かしながらコミュニケーションを深める企みがあるからだろう。

 家庭でも食事の時間は話に花が咲くのだけれど、賞味期限の蹴れた家庭には「餌」があるだけになる。

 「徹子の部屋」で野間ヒロシが子供の頃、家庭が壊れ貧乏だったので公園の草を食べていた、ナンテ話が出ていた。

 空腹な子供達、ってのは考えたくない。彼らにも「餌」でなく「食事」を振る舞ってやれる家庭と社会であって欲しい。

真珠湾爆撃

2015.12.08 風の戯言


 歴史に「if」はあり得ないけれど、でも「もしも」あったら・・・と思わせる本「賊軍の昭和史」が興味深い。

 「何故、あんな無謀な戦争を始めてしまったのか ?」

 富山市の発行している南北が逆になっている地図、中国の上に日本があるあの地図を眺めてそんなことを考えているとGeopolitics地政学とか言う学問の言わんとすることが何となく理解できる。

 貧しかった日本が、いや「餓えた」日本人が当時の「理論」で植民地を求めたのは理解できる。
 しかし、何故アメリカを相手に戦争始めなくてはならなかったのか・・・そんな疑問に時代の背景を見せてくれる。

 それにしても世界を知っていた指導者達の「知見」が何故暴走族を説得できなかったのか。歴史の「if」に苛立ちを覚える。

 庭の山茶花がいっぱい花をつけている。

藪の中で

2015.12.06 風の戯言


 久し振りに風雨が止み、空が少し明るくなった。

 風は冷たいけれど、山が俺を呼んでいる。

 小道は藪の中に消え、林は静かに瞑想している。

空海

2015.11.29 風の戯言


 畑仕舞の済んだ庭の畑に氷雨が降り続いている。

 もう、12月になるんだな。

 「明治維新という過ち」以来池上彰、佐藤優の「新・戦争論」、「大世界史」、半藤一利の「もう一つの「幕末史」」を読んでいて「歴史」というものが少し判ってきたように思う。
 73歳を過ぎて、今更何を言うかバカヤロー!、って思いだけれど、またやっと・・・いや自分の人生で初めて少し本が読める世界に戻ってきた・・・そんな感じが嬉しい。

 今は高村薫の「空海」に浸り始めている。
 素直に宗教が信じられず、曹洞宗に何かを感じていたのだが、「空海」を読みつつ真言の世界がチラチラし始めている。

 言葉にならぬ世界を、やはりその世界を一人でも多くの人達の救いにするためには「言葉」が必要なのだろう。

 ただ、その言葉の真意は人には伝わりにくい。
 言葉に「嘘」の多い人達には、何も伝わらない。

 「修行」という言葉は深くて重そうだ。

 親は何で「修」なんて名前をつけたのだ ????

おぼろ月

2015.11.25 風の戯言


 23日、会社で書類整理をしていたら「社長、今日は勤労感謝の日です。仕事をしてはいけません」と出社していた社員に窘められた。「お前はどうするのだ?」と言ったら「俺はいいんです!」。
 理屈の通らぬ話だが、丁度良い口実になった。

 家に帰ると畑仕舞の済んだ庭に朧月がかかっていた。

 ここは当然、酒を飲むべきだ。

 平安装束にでも身を包み、和歌でも詠みながら朱の盃で酒を飲んでいたら絵になるのかも知れなかったが、どうも寒くなって風邪でもひいたらしい。

 そう言えば暦の上では23日は「小雪」だった。

 今日は親代わりだった秋雄兄の命日。
 時が去って行く。