こどもの日 立夏

2013.05.05 風の戯言


 立夏
 今日も穏やかな一日で、妻の日雇い労働者みたいに苗を植えたり、物置の掃除をしたり、散歩のお供をしたり・・・こんな休日を過ごせるなんてラッキーなことなんだろう。

 海の夕陽が見たくて、松浜の浜辺を歩いてきた。
 もう少し、着込んでいけば赤い夕陽が撮れたのだが・・・残念。

 昨日の続き。
 星空を見ていると、永遠のような宇宙の営みの一瞬を共有出来る不思議さを実感できる。人生70年、生物としての時間感覚から言えばそれなりの「永さ」はあるけれど、それが厄介なことなんだが、宇宙の現実から言えば「一瞬」にも満たない時間なんだ、ね。

 仏教では「無」に帰る。だから生物的な時間感覚として「生きている時は精一杯に生きろ」と言うことなんだろう。

 太陽が昇れば、また新しい一日が生まれる。

 過ぎ去った時間は、宇宙でも人生でも2度と戻らない。

 命あるものの定めなのだろう。

 夜空は、不思議な時間を投げかけてくる。

緋桃の里

2013.05.04 風の戯言


 庭のチェアで、星空を見るのが楽しい。
 明かりを消せば、満天の夜空に星が輝く。
 137億年の宇宙の営みのこの一瞬に、自分も生きているのだな、と思うと不思議な感動の世界に引き込まれてしまう。

 今日は天気も良く、庭の掃除、野菜の苗の植え込み、花の苗を公園前の庭に植えたり、大半は妻の仕事だが、午前中に念願の作業も終わり、午後から車を走らせた。
 みどりの日だから山を見て、花に囲まれた水源地のある河内集落を抜け、谷根の里に下りてみた。
 谷根一帯が緋桃の林の中にあるような、そこに住む人達の温かい心がそのまま伝わってくるような、そんな風景が拡がっていた。

 「たんね、
    いいね」 そんな看板があった。

 いい一日だった。

如風 我が墓の開眼供養

2013.04.28 風の戯言


 自分の墓の開眼供養が出来た。
 これで、いつでも入ることが出来る。

 正面には「如風」と刻んだケヤキの銘板を入れて貰った。

 如風 人生風の如し

やわらかに柳あをめる・・・

2013.04.27 風の戯言


 じょんのび村への道沿いの鯖石川の対岸に柳が芽を吹いている。
 石川啄木の
 「やわらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」が思い出される。

 純粋に彼の世界にはもう入れないが、雪解け時期に緑を運んでくるブナの木と、柳は何かを囁いてくる。
 その囁きを、聴き止める時間を据える心の自由が、まだない。
 ゆったりと流れる時間を・・・

 空に浮かぶ雲と、川のせせらぎの音と、目の前を流れていく風と・・・時間を止めて、その世界に入っていたい。

62年振りの先生を囲んで

2013.04.25 風の戯言


 自分達が南鯖石小学校に入学したのは昭和24年4月。
 まだ戦争の傷跡は深く、学生服もリュックも姉の手作りだった。毎日30分の道を歩き、学校に通った。
 小学校1,2年を担当され、その後他校に移られ先生と62年振りに再会し、何人かの同級生と先生を囲んで、 24日、昨日のお昼をシーユース雷音で、懐かしすぎ、素晴らしすぎる時間を過ごさせて頂いた。
 先生はとても85歳とは思えない若さで、古いアルバムの1人1人の名前を呼んでいた。
 62年前の、まだ10歳にも成らない子供達をフルネームで指さしている。

 ホンモノの教育者の温かさに、改めて触れることが出来、思わず涙ぐんでしまった。

 この日も、いい1日だった。