満月の夜。

2012.08.31 風の戯言


 秋になった。
 満月の光の色が違ってきている。

カワウソの絶滅

2012.08.29 風の戯言


 カワウソが絶滅したらしい。
 子規の獺祭忌が幼稚な頭に残り、何とも愛嬌のある仕草と共に好き、というより自分の生き方に共通するものもあり、気持ちの上でより身近な動物ではあった。

 最近山道をドライブしていて感じることは、車に轢かれた狸やイタチの死骸を見なくなったこと。蛇にも滅多に出会えなくなった。家の庭にも煩いほどいたアブラゼミがホントに少なくなった。トンボや蝶、蚊やブトも殆どいない。

 多分、自然が大変わりしているのだろう。
 食物連鎖の頂点に立つ人間の数が多く成りすぎ、自然界の調整場面が急展開しているのだと思える。

 自然は自らの意思を持っている。
 人間は神の子だと自ら認識を誤り、自然の意思を理解しようとはしないで来た。科学の力で自然を制御できる、と。

 もう一度、人は自然の中で慎み深く生きなくては成らないのだろうと思う。不思議なことを言うようだが、神や仏や自然に対する自分の祈りは、願いを叶えてくれている。

 夕焼け雲の上に、月が出ていた。

何だろう ?

2012.08.26 風の戯言


 歳のせいか、体力的にも精神的にも限界に近づいていた。思考言動とも朦朧としてき、危険を察知して逃亡してきた。

 妙高パインバレーはビジネスホテル料金並みで、妙高が窓一杯に広がり、何か違う磁場の中心にいるようで、心が安まる。
 
 写真は関山から斑尾に向かう途中パインバレーに分岐する道端に、地域の老人クラブの植えた花壇。何か、暖かいものが伝わってくる。

六本指の足

2012.08.22 風の戯言


 草木も眠る丑三つ時、庭に出てみると、満天の星。
 21日は流れ星が幾つか見えたが、昨日はゼロ。
 真夜中に小一時間も空を見続けている自分に気がつき、なんか70歳の若者がやることじゃないな、と落ち込む。

 星明かり、久し振りにそんな言葉を思い出したが、カメラには捉えられない。残念 !

 写真は先日、小千谷の山本山で見た風景。我が黒姫山を六本指の足が空を蹴っていた。随分と前だけど、新宿のホテルの窓から雲の仙人を見たことがある。雲は自由で、いい。

夏雲

2012.08.19 風の戯言


 妙高で見事な夏雲に出会った。

 妙高は不思議な山で、何故か人の心を和ませる。

 妙高は別名「須弥山(しゅみせん)」と呼ばれ、古代インドの世界観の中で中心にそびえる山とされている・とされているが、WiKipediaでは「須弥山」とはサンスクリット『Sumeru、スメール山』の漢字による音訳で、意訳は「妙高」という、らしい。

 高校山岳部で馴染んだ山でもあり、あの山を見るとホッとする。

 お盆休みに、蔦屋で福田和也の「岸信介と未完の日本」を買って来ていたので時間潰しに目を通した。『在りし日の日本』が蘇って来、夢中になっていた。
 福田和也の名前は知っていても、本を読んだことが無かった。なかなかの人と、改めて知った。
 そう言えば、「敗戦」の日から67年が過ぎていた。真夏の、あの日の3歳の記憶がまだ残っている。

 今は3.11と福島原発の取材を通し、「失敗の本質」を暴き出している朝日新聞の「プロメティウスの罠」を厭嫌ながら読んでいる。5年前の中越沖地震も一歩間違えば、柏崎は今の福島のような事態に追い込まれていたとしても不思議ではなさそうだ。
 先祖代々の生活の場を追われた人々の苦しみと絶望が伝わってくる。そんな中でも、人は何故死を選ばないのか、人間という動物の不思議さを感じる。