こどもの日

2010.05.05 風の戯言


 白隠禅師「暫時不在 如同死人」なる書が永青文庫(細川家コレクション)にあるそうな。
 俺のゴールデン・ウィークは正にそんな感じ。体中の体力・気力がみんな抜け、自閉症のような休みだった。

 八石山の裏側、昔の小国町大字八王子字離山の細い山道に車を走らせていたら、いきなり曲がり角から3匹の山羊が飛び出し、些かビックリした。

 ここは昔に安沢牧場があり、山中に放牧しておくから牛の数はわからない・・・なんていいながら何度か一緒に飲む機会を頂いた。豪放磊落な人で、兄弟みんな「オトコ」だった。

 「オトコ」同士、表も裏も、駆け引きもなく、大酒飲んでお互いにベロベロになって、翌日から本当の付き合いが始る。そんな愉快な時代だった。

 そんな昔の思いを残したまま、八石城の山奥の水がめの地に「八石ステーキ」がある。
 コレがまた旨い ! 美味なんだなぁ「コレがだなー、ステーキを食べに、こんな山までの彫ってくるのは変人だけ」らしく初めての人でもその場でフアンになってしまう。

 支離滅裂だけれどこの山は好きだ。

みどりの日

2010.05.04 風の戯言


 灯りを消して星空を覗けば、風呂の窓から蛙の合唱が飛び込んでくる。

 まさに「ゴールデン・ウィーク」。
 山桜と様々な色合いの若葉が一斉に拡がり、山の歓喜が聴こえて来る。

 普段は倅の帰郷には名残の花しか残らない庭の八重桜が、今年は彼を待つようにして咲き始めた。

 1本の桜に、家族の尽きない思い出が咲いている。

5月の風

2010.05.02 風の戯言


 早朝、久し振りに「ぶどう村」に上った。
 此処から望む四季折々の風景は絶品で、「鯖石ぶどう園」を作った先人たちはこの風景に魅了されたのだろうと思う。
 まだ雪を冠った米山は詩的だった。残念ながら写真が追いついてゆかない。
 黒姫と八石、刈羽三山を眺めていると、何かが解けて行くのが解る。5月の連休初日、早朝の風景は見飽きることがない。
 お昼、庭木の折れた枝を取り除き、リクライニング・チェアーで5月の風を楽しむ。
 空にゆったりと雲が流れ、若葉が芽を吹き始め、5月の風が遊んでいる。

 俺の時間が静かに流れて行く。
 この静けさは何だろう!

 週刊ポスト5.7/5.14号の茂木健一郎「脳のトリセツ」に興味ある記事があった。
 世界が実はフラットだと気付いてしまうこと。それは『格差』という幻想をなくし、この情報化社会では「生きる力」という視点からは、それぞれの人が、それぞれの現場で、直面する「偶有性」から学べばよいことであり、学歴や社会的立場の「格差」幻想でしかない、という。
 「偶有性」とは、人生が容易に予想できないものであるということ。定番とサプライズの入り混じったカクテルこそが、脳の報酬系を真に活性化させるさせること、なのだという。
 「GW」を家でのんびり過すのか、渋滞を乗り越えた先の遊びに価値を置くのか、海外旅行に最高の価値を設定するのか、それは「偶有性」の視点から見れば等価である、という。
 新しい時代の、新しい視点のように思える。

寒い春

2010.04.28 風の戯言


 中鯖石コミュニティの桜が、慎ましく、咲き続けている。

 寒い春が花を守り、風に散ることもなく、静かに咲き続けている。

ちょっと、大連まで

2010.04.27 風の戯言


 若い頃、建設業の改革を叫んで「青年部」を創った役員も2人が他界し、「五葉会」は3人になってしまった。血気にはやって激論を戦わした若い時の仲間は、何を話さなくても近くにいるだけで心が和む。
 2人は建設業界の最高幹部になったが、忙しい中を、時折一緒に度に出ることにしている。
 今年は大連を選んだ。理由は別に無い。

 職業的には大連ソフトパークを考えたが、旅順を見たくなった。以前何度か大連を訪れているが、許可が得られず諦めていた。

 二〇三高地に上り、旅順港を遠望できた。
 ロシア太平洋艦隊を封じ込めるために港口近くに沈めた民間船は22隻に及ぶ。国の興亡を賭けた日露戦争の悲壮と心意気が伝わってくる。
 沈んだ船の中に「米山丸」、「弥彦丸」、「小樽丸」等の船名見える。
 柏崎に縁の深い小樽板谷商船隊だ。

 「坂之上の雲」
 民族が一つの夢を追いかけた、そんな時代を想う。