今夜は雨か ?

2013.08.19 風の戯言


 雪深い山里に住んでいると、夏の暑さは有り難いものに思える。来る日も来る日も丈余の雪に埋もれ、寒さに震えていることを思い起こせば、「暑い!」なんて贅沢なことだと思える。
 でも連日車内温度が35度を超えると些かグロッキー気味。でも、理性が邪魔して「暖かくていい案配ですね」なんて挨拶をしている。どうかと思う時もあるんだけれど・・・。

 予報では今夜半から雨模様。

 庭の草木が息絶え絶えになっている。彼らは雨を待っているのだろう。

秋の気配

2013.08.18 風の戯言


 祇園精舎の鐘の音、チョット可笑しな響きあり・・・。

 お盆も終わって、明日からまた戦争が始まる。
 気を緩めているゆとりはないのだけれど・・・。

 今日も35度を超え、少し異常な暑さが続いていて、やっと季節感が戻り始めた。厳しい暑さだけど微かな秋の気配が混じってきた。
 予報では明日の夜から火曜日にかけて雨のマークがでていた。最近の雨は加減知らずで以前には考えられなかった集中豪雨が常態になってきているらしい。

 石川峠を歩いてきた。
 車の往来は殆どなく、開通時植えられた桜の木が大きくなり、蔦が巻き付いていた。
 森の中を歩いているようで、たまにはこんな時間もいいものだ。

永遠のゼロ

2013.08.15 風の戯言


 子や孫達がみんな帰り、又静かな時間が戻ってきた。
 庭に出て、星空を眺めていると「懐かしい気分」に満たされてくる。この「懐かしい気分」は一体何なのだろう。

 雲や、見慣れた風景が急に何か「懐かしさ」で迫ってくる。お呼びが近いのか、と思ったがそうではなさそうだ。

 百田尚樹の「永遠のゼロ」を読み始めている。
 この人の本は何冊か読んでいるが、改めて著作全部に目を通したくなった。取材力と構成力、この人の小説は面白い。

 秋が近づいていた。
 暦の上では7日が立秋なのに、今この真夏の暑さの中で稲が穂ばらみ刈り入れの近いことを知らせている。
 安田では来週あたりから始まるのかも知れない。

 頭の季節感が、少し現実の季節が近づいている。

 8月15日
 様々な思いの夏。

明日は8月15日

2013.08.14 風の戯言


 日常から解き放たれて浮遊状態を楽しんでいる。
 写真は8号線柿崎の街路樹。1本だけ綺麗な花を付けていた。少し赤みが濃いサルスベリ?
 「名前のない草はない」と昭和天皇は仰せに成られているが、国家元首の言葉として重みがある。

 明日は終戦記念日、無条件降伏をしたのだから「敗戦」なのだろうが「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」天皇と国民が一糸乱れずに終戦の詔を受け入れたのはやはり日本国という国は凄い国だと思う。
 3歳の時の「敗戦」だったが、「アメリカ軍が雷のようなモノに乗って鯖石街道を更新して来、見つかり次第日本人は殺される」のだとひそひそと話していた祖父、親父、兄姉たちの姿を今も記憶の底に仕舞っている。

 尖閣諸島や竹島を巡る中国、韓国の出方には憤りを感じるが、国家の領土問題は最重要課題ではあるけれど、一国民の素人考えではあるけれど、もう少しやり方があるように思う。

 13日、そんなことを考えながら明け方の夜空を眺めている内に、庭のデッキチェアで朝方まで眠ってしまった。
 
 久し振りにそんな時間を楽しんでいる。

お盆

2013.08.13 風の戯言


 いくらお盆だからと言って、自分の墓参りというのは些かシックリと来ない。
 しかし木の墓も見慣れてくると何となく落ち着きが出てくる。 見慣れる・・・女房も同じことなんかな。

 子供達や孫達が集まり「お盆休み」を楽しんでいる。
 嬉しそうに世話を焼いている女房の姿を見ていると、子供や孫というのはやはり「母親」のものなんだな、つくづくと思う。

 自分の時間軸がズレていて、季節感も狂い始めている。
 今更のことだが、「真夏」の感覚が薄い、のではなく鈍いのだ。どっかで「芯」がとんでいるのかも知れない。

 ジックリと「真夏」を味わいたいと思っている。