時は過ぎゆく
何が原因なのか、体調が崩れ最悪の一日。
マッサージ師が呆れるような全身のこわばりが元?
されど予定の打ち合わせや来客、東電関連6社訪問を無事完了。やれやれ ! それにしても心のゆとりがなくなっている。まずは休むが一番かな ?
東電関連企業を訪問して感じることは、やはりゆとりのなさ。1000年に一度という地震に見舞われた故とは言え福島原発の事故は歴史的な事故。影響は計り知れない。中越沖地震の時、柏崎も「可能性」はあった。決して他人事ではない。
政府を非難し、東電の対応を避難することは簡単だろうがこの悲惨な事故を柏崎で起こさないために何をすればいいのか?
祖先の地を追放され流浪の民になるのは嫌だ。
石塚、行動を起こせ !
ブナ林 放浪の旅
国道353を折居から阿相島を抜けて桜坂峠から尾神岳-吉川町に至る山道を始めて走ってみた。約一時間、一台の車にも遇わなかった。結構刺激的なルートであり、途中のブナ林が魅力的だった。
尾神岳は一時カイトのメッカであり、多くの若者たちが集まったという。俺は熱気球だから意地でも行かなかったが…山の中にポツンと1軒だけラーメン屋があり、バアちゃんが車のほうを見ていたが、腹も減っていたが、寄って食べてゆく勇気はなかった。
土曜日、ちょっと会社を覗きプチ放浪の旅に出るのが楽しみになっている。今日のルートには、崩れ落ちた家や人の気配の消えた殆ど無人化した集落があり、その佇まいが妙に懐かしく、込み上げてくるものもあり車を止められずに走り続けた。
都会の過密化と、地方の過疎。
簡単な問題ではないが、現代の価値観?を見直さないとただ時間の中を走らされているだけの人生になりそうな気がする。
経済人として、働く幸せを求め続けていきたい。カッコつけて、俺らしくない優等生的な答えだが、それをどう実現させていくか。競争と共存、バランスだけの問題ではなさそうだ。
魂の夜間飛行
最近やっと本が読めるようになった。
少し筒健康を取り戻しているのかも知れない。よく考えてみると、別段どこかが特別に悪いというわけではないのだが…要はエネルギーに欠ける、ということか。
午後から久しぶりに市役所に出かけ、多くの友人、みんな幹部になっているのだが、達と楽しいお喋りができた。アラコキのおっさんに「お喋り」もないもんだが、建設業時代から、また今の会社を通じての交わりに本音の議論と楽しい会話を許された立場から、彼らには本当に感謝する。
深夜になって、一日を振り返りながらブルーレイを楽しんでいる。何とも心休まる時間だ。マントヴァーニの「アルフィ」、ザンフィルの「ライムライト」をロンドンの映像を見ながら聴いていると魂が抜け出ていくような静かな感動を感じる。放浪の旅へ…誘惑が広がってくる。
それにしても、ヨーロッパの古い街並み保存にかける情熱に、人間の幸福に対する価値観の歴史的な蓄積に本当に感動する。
ランちゃんが居なくなって、不安定な寂しさに襲われる。
母を亡くした幼いころ、姉が実家に帰ってくると、俺は犬の箱の中で一緒に寝ていたらしい。姉はいつもその話をしながら涙を拭いている。遠い、遠い、づっと遠い昔の話だ。