暑過ぎた夏の後の雪
朝、出掛けに降り始めていた雪は、夕方になって勢いを増し、鯖石の我が家は30cm程になっている。なんていうか、昔の雪の降るパターンには形があったけれど、現代の雪は何となく振ってくる。戸惑いもなくあっさりと降り始める。面白味がない。
一丁前に「ドスン、ドスン」と屋根の雪が落ち、昔言葉では「ナゼがつく」というんだけれど、本格的な冬の到来を覚悟しなけりゃならない時期に来たようだ。
今日は柏崎商工会議所の「常議員・参与合同懇談会」。会頭他役付き7名、参与16社、常議員22社事務局5名、計50名の会議と懇親会、楽しく愉快な会だが、特定の人と突っ込んだ話をしようとすると脇から邪魔が入って、誰とどこまでの話をしたか覚えていない・・・それでいてお酒を注ぎに行けなかった人の「不躾」が気になったりして・・・若いときと違ったストレスが残る。まぁ、これも生きる猛烈なエネルギーにはなる。なんてことは御仕舞。
東電の横村所長との花火談義は楽しかった。我が社の「尺玉10発同時打ち上げ」を記憶に残しておいてもらって嬉しかった。来年もやろっと!
坂の上の雲
「坂の上の雲」に流れるサラ・ブライトマンの「Stand Alone」が何処からか聴こえてくる。人間の寂しさと必死になって放すまいとしている「何か」を、あの透明な、人の声とは思えないソプラノが鷲づかみにしてくる。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」−日露戦争の旅順口-第2回旅順港封鎖作戦に「千代丸、福井丸、弥彦丸、米山丸」の船名が出てくるが弥彦丸、米山丸は柏崎と縁の深い小樽の板谷商船の船であったという。越後タイムス前主幹吉田昭一氏から聞いていた話で、いろいろな資料で確認している。
貴族院議員、参議院議員板谷順助は柏崎市四谷の出身。
話が逸れた。
「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている」
この本の冒頭に書かれた一行だが、歴史を振り返ってみると、現在が如何に多くの困難を乗り越えてきたかが実感させられる。生成発展、この言葉の深さ。
明治維新が1868年
日清戦争が1894年(明治27年7月〜28年3月)
日露戦争が1904年(明治37年2月〜38年9月)
一次大戦が1914年〜1918年
二次大戦が1938年〜1945年
そして2010年が間もなく閉じようとしている。
米山林道
秋の陽に誘われて、昨日は米山林道を終点まで攻めて来た。「攻めてきた」というのは少し大袈裟だけれど林道の至る所に「落石注意」の立て札があり、途中には「今落ちたばかり」の割れた石が路面に散らばっていて冗談は止して欲しい雰囲気。久し振りにビビッた。熊に出くわしたら写真を撮ろうとデジカメをスタンバイさせていたが、そんなゆとりは何処がに吹っ飛んでしまった。
帰路、大平の集落を過ぎて「手打ち蕎麦」の幟に吸い寄せられたら、そこは「米山ガーデン」。中学の同級生、本間公一が主宰する山と海と池とハーブに彩られたロッジのある、それは素晴らしい山の庭園。
話には聞いていたが名前と場所がわからず今まで来なかったのが悔やまれる。
夕方は女房とじょんのび村。一風呂浴びて飯を食っていたら大勢の知人友人が次々に声を掛けて来てくれて、賑やかな夕食になった。
もう、12月も間近い。