高橋和子写真展

2009.03.23 風の戯言


 高橋和子写真展「ひかりの大地」が好評にスタートした。
 初日、21日に来客数は100名を越え、柏崎でこの種の写真展としては大成功だと言う。ゆう文舎の柴野さん、霜田さんには感謝してます。

 22日は柏崎市長会田洋後援会総会が盛況だった。久し振りにこの種の集まりに出て、相変わらずの熱狂に驚く。かつてはこんな会を自分で主催していたのだが・・・。

 今日は株主総会と取締役会を開催し、自分の社長退任と会長就任、岡本尚武の社長就任を決めた。
 岡本新社長は4月10日、創業記念日に正式に就任し新体制が稼動始める。楽しみだ。
 創業21年の疲れがドット出て、夕方からハリを打ちに治療院に行く。少しゆっくりと休みたい。

宮沢正雪句集「柏崎」出版祝賀会及び新春句会

2009.03.14 風の戯言


 季語は「鰆-さわら」 
 早速「荒海や さわらぬ神に 祟りなし」なんて好道の駄洒落句が飛び出したりして新春句会はのっけから波乱模様で始まった。
 13日、芭蕉縁の「天屋旅館」で新潟工科大学教授宮沢正幸(俳号 正雪)の処女句集「柏崎」の出版を寿ぎ、祝賀会を開いた。
 発起人代表に松村商工会議所会頭を担ぎ、経済人、大学教授、団体職員など、どちらかと言えば「一直線」でない人たちが集まり、専門が情報通信ネットワーク、産学交流センター長を兼ねる宮沢教授が宝生流謡曲、能に遊び更に「夏木」同人として俳句にとウィングを拡げているのを酒の肴にしてしまおう、と言う楽しい企画。
 一渡り夫々の面識と酒が回ったところで、そう「宴たけなわではございますが」新春句会に急遽切り替え、選ばれた季題は前述の「鰆」。
 駄洒落に脳を掻き乱されながら、普段無縁な作句に脂汗を滴らせている。何とも楽しい風景ではありました。
 
 作法通り、夫々の句を一枚にまとめ、選句に入る。投票の多い順に天地人が決まり、テレと後悔の入り混じった初体験句会は終わった。いゃー、疲れたね。楽しかった。

 最期は宮沢先生の謡で締めて散会。本当はこんなところで「三階節」が歌われたんだろうな。

金賢姫

2009.03.12 風の戯言

 何故か、昔から金賢姫が大好きだ。
 だから彼女を「元死刑囚」とするマスコミが許せない。
 品格と良識を持った新聞は「元工作員」と書いている。

 彼女の人生は過酷すぎる。
 最初は「キタ」の監視と教育、後半は「ミナミ」の監視と教育。そんな中で自らのアイデンティティーを見い出し、護り続けるなんて、そんな簡単なことじゃない。
 関らされた「事件」のことを考えれば「自裁」こそが安らぎへの道になるのだろうが、それを拒んで(いるように俺には思える)いる。

 11日の会見のテレビを見ていて、飯塚耕一郎さんに「抱いてもいいですか」と言う言葉に、不覚にも涙ぐんでしまった。双方の痛みは想像だに出来ないが、「キタ」に翻弄された人生を思うと、涙しか出せない自分を歯がゆく思う。みんなそうなのだろう。

 俺は心底惚れているのかもしれない。

団塊の世代に贈るエール

2009.03.08 風の戯言


 友人から「Club Willbe」の入会案内と主宰者残間里江子の「引退モードの再生学」(新潮文庫)を頂いた。なかなかいい本だ。団塊の世代の分析と、彼らに贈る同世代からのエール。
 正確に言えば1947−49年に生まれた人を指すので、俺は団塊の世代ではない。団塊とは鉱業用語で「堆積岩中に周囲と成分の異なる物質が丸みを持った塊となっている状態」だそうで、堺屋太一の造語だと思っていたがチャンとした専門用語であるらしい。
 と言われて「ハハーン」と思った。我が女房殿、1947年生まれ、折り紙付の団塊の世代。彼女の同級生がやたら群れるのだ。自分だけが特殊なのではあるまいが、我ら戦中派は言えば独立自尊、ハグレ者が多いように思う。俺は小中学校、高校、大学と基本的に同級会同窓会の類は出席しない。スネに傷を持つ身の、世間を狭くしている者特有の「背中」なのかも知れないのだが・・・。

 白洲次郎ほどの能力も自信も格好つける背骨もないが、ハグレ者ならハグレ者らしく、もう少し筋を通してもいいのかな、と思うことがある。平均寿命までまだ少し時間はあるが残された時間がそんなに多いわけではない。崖の淵まで走りきるのも良いのだろう。何をするか・・・だ。

幻の古浄瑠璃、復活再演 

2009.03.07 風の戯言


 江戸前期に上演され、以来鳥越文蔵先生に発見されるまで台本が大英博物館に眠ったままで時は流れ、今回300年ぶりに復活再演される「越後国柏崎・弘知法印御伝記」なる古浄瑠璃を見に行ってきた。後援会の一人でもあるのだが・・・。
 浄瑠璃がなんであるか、勿論俺には判らない。文楽の源流とか佐渡文弥人形に近いもの、と言われても正直「知らない」。
 無理を言って入場券を手配して貰い、義理と興味半分と折角の休日を身体を休めないでいいのかと少し鬱々として出かけたのも正直な話。しかし、上演が始まると不思議な世界に引き込まれた。そんなに違和感がないのだ。子供の頃、近くの家に旅芸人が来て、瞽女や浪花節語りだったのだろうが、田舎に不思議な夜を持ってきてくれた、遠い記憶が蘇ってきたのかも知れない。
 狭い会場ではあるけれど、多くの希望者を断ったと言う話だけれど、入りきれないほどの人たちが、中に外国の人も、子供達もいたけれど、みんな息を潜めて舞台に魅せられていた。
 柏崎は不思議な町だ。歌舞伎や義太夫の源流と言う古浄瑠璃に興味を持ちそれを企画する人たちと観劇に来る人たちとの濃密なネットワークが、古き良き柏崎のDNAが今も生き続けている。