月夜の晩に雪が降る

2009.01.12 風の戯言


 新潟県経営品質賞のヒアリングシートの記入と送付が終わり、後は15,16,17日の現地審査を待つばかり。
 いろいろ振り返ると、恥じ入る事ばかりが多く落着かない。だから終わったことはもう考えないことにしよう。
 まぁ、一段落、というところか。16日が本番なんだが・・・。

 久し振りに使った脳をクールダウンさせようと窓の外を見たら寒々とした空に冷たい月が輝いている。予報では大雪かと思われたが、積雪は10センチにも満たない。
 天気予報は外れた時のブーイングを嫌ってか、正確なものより極端に悪い予報を出しているようだ。変なの !
 それにしても雪のない冬は助かる。地球温暖化? 単なる地球の気候変動に過ぎないという見方もある。多分そうだろう。最近は作為ある情報が組織的に流されることも多いようだ。時が過ぎて、真実が明らかになる。未来予測の本を、10年くらい過ぎて読むと著者の技量が見えてくることがある。大前研一の「新・資本論」もその意味で楽しい。
 出来ることなら、ゆっくりと時間をかけて、メモを取りながらの読書をしてみたい。目の前を、風に舞う落ち葉のように、文字だけがただひらひらと通り過ぎて行く。頭の中に何も残っていない。あー、嫌だ嫌だ。

高木さんの思い出 ねっと陽だまり原稿

2009.01.04 風の宿

 高木さんに始めてお会いしたのは昭和62年秋だったと思います。
 柏崎がニューメディア・コミュニティ構想の実現に向けて動き出した「熱い季節」、柏崎情報開発学院の秋の学院祭があり、新潟日本電気株式会社高木社長の講演がありました。
 講演の中に「産業の空洞化」と「心の空洞化」という2つの重要な言葉がありました。日本の産業が安価な労働力を求めて海外にシフトし始めた時でもあり、そのことを危惧した「産業の空洞化」は各方面で語られていました。しかし「心の空洞化」は初めてきく言葉だったのです。
 講演会の翌日、柏崎情報開発学院の2階の教室を借りて、我が「パソコン村」がパソコンやパソコン通信、そして幾つかのパッケージソフトなどを展示していたのですが、そのブースに高木さんがヒョツコリ現れたので、私は嬉しくなり夢中で「心の空洞化」とは何か?と聞きました。高木さんがどう説明されたか覚えていませんが、後で「このことについて質問してきたのは君が初めて」と話されたのは今も鮮明に覚えています。高木さんに少し近づけたようで、とても嬉しかったのです。
 今になって考えてみると、日本人の心が虚ろになってきた時代の始まりだったのかも知れません。

 創風システム創業4.5周年記念パーティのメーン・スピーカーをお願いした時も忘れられない思い出です。
 のっけから「石塚はいい加減な男」と持ち上げて?くれたので、次々と続く壇上の祝辞は「俺はもっと悪いとこ知ってるぞ」みたいなスピーチで大爆笑の連続、160名のお客様が腹を抱え涙を流し、まさに抱腹絶倒・前代未聞の楽しい祝賀パーティになりました。今も私達の宝物のような思い出です。

 高木さんが柏崎ロータリークラブの会長に指名された時、私を幹事に選んでくれました。
 当時の新潟日本電気の部下の方達が「副官には石塚がいいだろう」とのアドバイスだったようです。これも私としては嬉しい出来事でした。ただ、事情により高木さんの会長就任が一年早まり、私は後任の幹事を務めることになりましたが・・・。 
 そのロータリークラブが「グルメの会」と称し市内外の美味しいものを楽しんでいた時期がありました。「六宣閣」さんの鯛料理を頂きに行くときは、もうバスの中は子供の遠足のような賑わい。でも高木さんの奥さんが不思議そうな顔してらっしゃる・・・・服装もどこかトロピカルな雰囲気・・・サスガ東京の人はオシャレだなぁ、なんて悪童達はワイワイと飲む事前運動に余念がない。
 六宣閣に入って、奥さんがそっと「ねぇ、タイ料理じゃなくて鯛料理、なのね! 私タイ料理だと思って服装合わせてきたのにぃー!」 この席はタイ(鯛)料理の話で大いに盛り上り、高木さんの奥さんはすっかり我らのマドンナになってしまいました。

 今、考えてみれば、私が45歳で土方からコンピュータ屋になれたのも、ビジネスでNECの特別なご配慮を頂けたのも、1995年12月24日クリスマス・イヴにインターネットを柏崎に接続できたのも、全ては高木さんがニコニコしながら見守っていて貰ったお蔭なんです。
 そうそう、パソコン通信「KISSNET」の運営委員会「日本海倶楽部」の「網元(会長)」として、初期のネットワーク社会の地方での活動を温かく見守っていてくださった時代もありました。

 優しくて厳しくて、何よりも柏崎が大好きな、正に慈父のような人でした。
 今は遥か遠くの空に旅立たれ、心が空洞になったような寂寥感に呆然としています。
 出来ることならば、何時かまた緑の風に乗って柏崎に来られ、貴方を慕う一人ひとりの頬をそっと撫でて行って欲しい、と思う。 「お元気ですか?」って・・・そのことを思うだけで目頭が熱くなってきてしまう。

 そうだ、高木さん、夏の花火を見に来ませんか、桟敷席をとっておきますから・・・みんなで待っていますよ・・・。

67歳の初詣

2009.01.01 風の戯言


 新年明けましておめでとうございます。
 今年は新装成った加納神社に初詣、石塚家先祖がお世話になった清龍寺、私の菩提寺の周光院を御参りして来た。
 世界的経済危機の年なので、もう神頼み、仏のご加護におすがりするしかない。例年より念を入れて御参りして来た。

 昨年は大晦日の花火の失敗でグショグショ。
 今年はきっといいことがいっぱいあるだろう。

一瞬の永遠

2008.12.30 風の戯言


 年の瀬の穏やかな冬晴れの一日
 垣根の山茶花が咲き乱れている。酔狂というべきか、自然の気まぐれなのか、平年ならば雪に埋もれて幾つも見えない山茶花が今年は枝いっぱいに花をつけている。

 山茶花の人待ちて咲く心あり   壷泡

 心忙しく、延び延びになっていた石塚家秋の法要を周光院横山真澄師にお願いしてお経を上げてもらった。
 般若心経ともう一巻、幾億千万の娑婆の中に釈迦牟尼仏はおわします、そんな経文が聞き取れた。意味の分からないままに心が温かくなった。

 一瞬の永遠
 乗り遅れた電車には乗れない

 今日はそんな言葉にも出会った。豊かな冬の一日に感謝!

年の瀬

2008.12.28 風の戯言


 27日から年末年始休暇に入り、自堕落で不摂生な生活を楽しんでいる。とはいいながら経営品質の審査が16日に控えているので明日から回答案を準備しなくちゃならん。
 経営に対する取り組みの審査、ったって突然巨大彗星が激突したような経済状態の「緊急事態をどう乗り切るか」が喫緊の課題であって、今更教科書的な論を振り回されるのか、少し心配だ。

 娘の子供が4ケ月を過ぎて、首も座り彼女の笑顔と笑い声が人の心を掻き毟るようになった。子供と遊ぶのが好きなので、人の子でもみんな懐いてしまう。特技だね。

 今年の雪は早く、少し脅されたが今のところ問題なし。
 昨年は追悼と復興祈願の花火を揚げるために暴風雨の中を駆けずり回っていた・・・馬鹿みたいだけど、今は「熱い」思い出・・・シアワセな夢の宴でした。