論語

2008.12.23 風の戯言


 「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」
 この「朋」は、志が一緒で信頼しあっている親友、のことだと知らなかった。無学とは切ないことだ、とつくづくと思った。
 「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う」
 人様の前で、一丁前に「コミュニケーションが大切」なんて話をしながら人を知る努力も何もしていなかったように思う。なんて言いながら「馬鹿にゃ付き合いきれん!」と怒り狂っている。「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」。所詮、人は理解し合えないし、その前提で社会の仕組みと人生は成り立っているのだろう。
 以上週刊誌からの知識。もう一つ「正論には裏がある」。世の中、尤もらしい言葉に気をつけよう、ってことか?

 午前中、ずっと行きそびれていた高田の菊間さん家に行って来れた。今年の元日に自宅で亡くなられたのにお参りに行けないまま一年が過ぎようとしていた。突然の訪問にも拘らず小母さんと長男夫婦が居られ、お線香を上げさせていただいた。堪えても堪えても、涙が止まらない。
 高校3年生の時、一年間下宿させて貰った家なのだが、思えばあの時から自分の人生が始まったようにしか思えない。全ては神の導きのままに、自分ではない何かに突き動かされるままに生きてきたようにしか思えない。だからどんな岐路も、後で考えると全てが「良かったこと」として受け入れられるのです。

 帰り「ゆう文舎」に寄り笹の葉のアートを見てきた。サさのはを丸めたものを並べただけなのに、不思議な空間が生まれる。21世紀の感性?

 世界のトヨタが昨年の営業利益2兆2700億円から来年3月予測は1500億円の赤字だそうだ。中小企業の小賢しい経営努力の意志を、一瞬にして凍らせてしまう様な圧倒的な現実感がある。

 世の中は「超バブルの崩壊」で暫らく辛い年が続くのだろう。希望に満ちた本当の21世紀はもう10年遅れて、やっとやってくるのかも知れない。負けちゃあ、いられない!
 どんな苦難だって、大東亜戦争の時の昭和20年前後の御苦労に比べれば「大したことないって!」

 「明日は昨日より明るく希望に満ちているはず!」という言葉を信じ、老体にムチ打って、己の道を歩きとおさねばならん、なった。気を付けろ! 石塚修は鬼になったぞぉ!

冬至

2008.12.21 風の戯言


 浅田次郎の最新短編集「夕映え天使」に収録された「特別な一日」はこの現状で読むのに「特別な」意味があるように思える。淡々と語られる「日常的な」退職の日が、実は超巨大高速衛星「MHC」の衝突の日であるという設定が次第に明らかになって行く。「特別な日」を特別な日でなくするために、ありふれた日常的な日にする、そう覚悟して生きる「特別な日」。浅田次郎の短編は、何時も滑稽で、何時も切ない。感動することを自己抑制した、その方が楽に生きられるからだが、人生の中で忘れてきたことを思い出させる。

 ジョージ・ソロスのいう「超バブルの崩壊」が始まろうとしている。心配された「環境問題」も吹っ飛ぶほどの社会経済の混乱が起きるのだろうけれど、「明日は昨日よりも明るく希望に満ちているはず」という言葉を信じ、また前のめりに生きていくしか手はないのだろう。立ち止まって傍観する・・そうは出来そうもない。

 今日は冬至。雪国では望むべくもない晴天で、近くの鯖石川の堤防を小一時間ほど妻とランと3人で歩いた。素晴らしい環境で生活させて貰っていることに感謝。静かなこの風景は天からの贈り物に違いない、と思う。冬至、明日から少しづつ明るい時間が増えて行く。

世界同時直下型大不況

2008.12.17 風の戯言


 ニュースメディアを見ていると、確かに世界は一体となって息づいているのだ、とつくづくと感じる。FRBがゼロ金利に踏み切った、手札はもう何もない。明日、日銀はどんな決断をするのだろう。明確なリーダーを持たず、世界中がカオスの世界に吸い込まれていく。
 どんな苦難の時代にも、人が生きている以上108の煩悩がなくなるわけじゃなし、商売のネタは尽きないだろうとタカを括っているが、生き延びるには相当の情報力と決断力が要るようになるだろう。ニュースから目が離せない。

 閑話休題
 加治将一の「舞い降りた天皇」は楽しい古代史だ。原田常冶の「古代日本正史」、「上代日本正史」も面白かったが現地調査と文献の読み込み、構想力は多分現代の古代史を書き換える迫力がある。小説仕立てだけれど、これも新手の読者サービスか?

 現代も古代も、夫々の時代を必死に生きた、いや生きている人や自分がいる。どんな日常を暮らしていたのか、瞑想を巡らせるのも楽しい時間だ。

高木正幹さん逝く

2008.12.14 風の戯言


 門出のかやぶきの里でドブロクを呷り、新そばにのめり込んでいた時に高木正幹さんの訃報が入った。
 何を言っても、何を書いても・・・全てが空虚な気がする。この業界の、俺の親父的存在・・・。

寒山

2008.12.08 風の戯言


 週刊文春12月11日号に細川護熙が寒山の詩を紹介していた。

 茅棟 野人の居
 門前 車馬疎なり
 林は幽かにして偏に鳥を聚め
 峪潤くして本より魚を蔵す
 山果 児を携えて摘み
 阜田 婦と共に鋤く
 家中 何のあるところぞ
 唯だ1床の書あるのみ

 俗世を離れた晴耕雨読の田舎暮らし。南宋の画のようだ。藍沢南城の「南条村」と重なり、穏やかな時間が過ぎて行く。
 12月、晴れた日の青空は何にも勝る。