他人の義務と自分の権利

2008.01.06 風の戯言

 「日本は他人の義務と自分の権利を主張する国になっちゃった」週刊誌を読んでいたらそんな文章に出食わした。自分の責任について一言の言及も無く、相手の不備に自分の権利を植え替えようとしているに思う。ようは時代は変わった。

大晦日の復興花火 中止

2008.01.02 風の戯言


 大晦日に予定しておりました「復興祈願花火」につきましては、順延予定の元日を含め、両日とも強風の為、誠に残念ながら中止といたしました。

 今回、皆様よりお寄せ頂いたお気持ち及びご協賛金につきましては、今年7月に行われる予定の「ぎおん柏崎祭り」花火大会の際に、追悼と復興の願いを込め、あらためて夏の夜空に打ち上げさせて戴きたいと存じます。

 関係各位の皆様、そして花火の打ち上げを心待ちにされていた皆様には、謹んでお詫びを申し上げますと共に、夏への打ち上げをお待ちいただきたく、お願い申し上げます。

 ということで復興花火は中止としました。波浪注意報が発令されているなかで柏崎港は風速22.5メーターを越えていた。残念ながら仕方ない。しかし、若い人たちが花火が無くてはさびしかろうとキャンドルサービスを決行してくれていた。
 関係監督署、マスコミ関係、主な主催者に連絡をいれ、FM放送の手配、HPの告知、電話の報知など手配を終えて、急に疲れが噴出した。元日の夜はゆっくりした食事にありつけ、貰い物のヴーヴクリコを開けご機嫌になった。
 自分の部屋で古い曲のCDを掛け、アマゾンで纏め買いした「森浩一」の本を摘み読みしている。最高に贅沢な時間が過ぎていく。ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」が心を抉る。この曲の作られた1968年、世の中まだ混沌の中にあった。マーティン・ルーサー・キング暗殺、ロバート・F・ケネディ暗殺、東京都府中市で三億円強奪事件発などいろいろなことがあった。その時俺はまだ27歳、北条土地改良区の仕事で田圃の中を泥だらけになってもがいていた時代。まだ何も見えなかった。今でもそうなのだが・・。

 自分の部屋でぼんやりと本を読んでいる。振り払っても振り払っても、またひらひらと舞い戻ってくる悔悟。生きていることの倦怠感に包まれ、自分が一番自分らしく落ち込んでいる・・・至福の時間が過ぎていく。少し危険だ。

 

タイトル無し

2007.12.31 風の戯言

 強風のため大晦日の復興花火は翌日に延期した。
 打ち上げ現場の柏崎港東埠頭は横殴りの雨で立っていられないほどの強風が吹いていた。今は不思議なほど静か。ままならぬものは天気、なんだ。まぁ、それも決定したことでしょうがない。
 来年はいい年であって欲しい。

大晦日の復興花火 天気は?

2007.12.30 風の戯言


 静かな年の瀬を迎えている。
 ただ、大晦日の花火を計画していたのがこの天候でどうなるのか、少し心配だ。もっとも、心配してもしょうがないのだが・・・。全ては神の思し召し、です。
 それにしても、こんなに多くの人から協賛が集まるとは思ってもいなかった。やっぱり何かを求めていたのだなと改めて感じる。そう思うと明日は腫れてもらいたい、せめて風が収まってくれれば悲しみと祈りをいっぱい詰め込んだ花火が揚るのだけれど・・・。

男一人のクリスマス

2007.12.25 風の戯言


 なにやら「題名」だけでモワァーと臭って来そうなタイトルになってしもうた。キリストが何をしたか、キリシタンが何をしたか、カトリックが何をしたか・・・この問いを並べるだけで怨霊のカラオケ大会が出来そうだ。
 しかしまぁ、御維新以来西洋風物はカッコ好く、日本文化は乞食臭かったのか。日本語を破棄し言葉を英語にしょうとした御仁がいた。何人かだよ、明治政府の高官達だ。成功していれば「NOVA」は悩まんでもよかったのにねぇ。

 まぁ、何だか分らんけど メリークリスマス だ。
 もう少しで2年参り、初詣、除夜の鐘で108の煩悩を清めて
さて、また来年はナニコサ悪いことするだ。キリスト教の懺悔みたいに牧師様に聞いて貰わなくても、日本の煩悩は鐘ついたり酒飲んだりしているとチャラになる。絶対こっちの方が便利じゃぞ。