雨のお盆
娘の出産を間近に控え、今年のお盆は自宅でのんびり過している。予定を立てないで、気分のままに時間を過すのは性分に合っているようだ。要は気まぐれ、ということ。
それにしても雨の近いお盆で、毎日どこかの時間で雨が降っていたようだ。お蔭で庭と畑の水の心配も無く、窓から入る涼しい風に身も心も爽やか。
この風景はノーベル賞経済学者スティングリッツの米国経済の告発には、同じ時代を生きているとは思えないほど危機感に乏しい。遠くで雷の音はするけれど、自分のいるこの場所にはこないだろう、そんな感じ。世界経済の動乱と縄文時代が同居している。それもまた幸せのことなんだろう。未来さえなければ、の話だが・・・。
写真は八石山石川峠から米山方向の鯖石の谷を望む。この小さな谷に先祖代々の人生がある。インターネットのレーダーサイトでは強烈な雨雲が近づいている。
ぶどう村 2008夏
気になって、時折「ぶどう村」を覗きに行く。ぶどう畑は文字通り草蓬々で、見放され愛が無くなった寂しげな風景が広がっていた。夏草や兵者共が夢のあと・・・か。
畑の隅の植えられたバラの花が心に残った。
富士子さんが朝日新聞の記事をコピーしてくれた。
サトウタツヤ(立命館大教授)の「心・体 観測」より少し長文だけど引用させていただく。
「最近では感情的知性(いわゆるEQ)が重視されている。例えば仕事が出来る人は–アタマが良いことは大事だが–それ以上に壁にぶつかった時にヒントをたくさんもらえるような人だという。もっと大事なことは、普段から人を助けているような人こそが、自分がピンチの時に助け舟を出して貰えると言うことだ。相手が困っているかどうか見抜く力、これが感情的知性であり、困った時に助け合う関係性こそが、優れた仕事をする条件だというのが最近の考え方である。
自分が正当に評価されていない、困った時に相談する人がいない、と悩む人は多い。だが自分はどうだろうか。誰かが困っていることに気付くだろうか。IQ 等という数値ではなく、そういう敏感さこそがアタマのよさを作って行くのである。
知識社会を超えて行くものは、やはり人間の心か ?
顧客満足度経営-顧客価値創造への道
プライドを持って働くことの出来る会社を創ろうと思う。
愉しく働く為には自立が要る。人が助けてくれることを期待すると、何らかの事情で援助が受けられなかった時、人間の一番哀しい感情「恨み」がおきることがある。自助自立は人間の基本的なスタイルなのだろう。そしてそれがどれ程大変なことか分ってくると、人からの温かい心遣いが本当に「有難い」ものとして受け止められる。「ありがとう」の一言は支援してくれた人の心を癒す力を持っている。
経済的自立は、社会生活における自由と、人生を完全コントロールする力を意味する、とNewsweek 8.6にニューヨークで暮す若い一人の女性メロディー・セラフィノの言葉として載っている。
混沌の時代、自分の選択に責任を持つものだけが後悔をしなくて良いのだろう。それが「プライド」だ、と思う。
写真は部屋から見た夏の夕陽。暑いんだ、わ。
夏の夜明け
幽体離脱したもう一人の自分に誘われるように、ノロノロとベットを抜け出し夜明けの空を見にゆく。家の前の、中鯖石コミュニティのグランドから道を隔てた畑の隅で、八石山の空が明るくなるのをボンヤリと眺めている。
妖精達はもう塒に帰ったのか、静かな夜明け。今日一日が始まり、そして暑い夏の一日が終わり、日はまた昇る。
日はまた沈み、日はまた昇り、気の遠くなるような繰り返しの中で、人生の時は過ぎていく。
本来、人の欲望のぶつかり合いであるビジネスの場で。自分を見つめ、部下の成長を願い、人を愛し、人が好きになり、闘争と未完成の愛と・・・人生の時は過ぎていく。
越後タイムスの柴野さんと霜田文子さんに誘われ、柏崎の生んだ抽象画家谷川彰さんの作品を見に行ってきた。途中、前知事の平山さんや平川信子さんとも合流し、展示作品を一枚一枚眺めた。結局俺には抽象画の精神性が理解できない。何を表現したかったのか、絵以上に抽象的で難解なタイトルにも幻惑され、最期まで「谷川彰」が理解できなかった。
展示会場に入り、作品に囲まれた時に感じた鳥肌の立つような感動は何だったのだろう、僅かな時間に俺の中で何が変ったのだろう。