美しい国はどこに行く?

2007.09.24 風の戯言

 国は、その国民のレベル以上の指導者を得ることはできない、と言う。
 阿部首相の辞任声明はどんなに言い繕ってもバカ丸出しとしか言いようが無い。Newsweekには世界中があきれ返り、無責任政治に大ブーイングの記事で埋まっている。この影響はどんな形でかえってくるのだろうか。
 そして今日又福田総裁による自民党四役の顔ぶれが発表された。なんじゃらホイ!
 今の時代、国も地方政権にも気概や理念なんて何の意味も無いのかも知らん。全てが崩壊し、無気力な平和が新しい価値を持つ時代が来るのかも知らん。古代人としてはやりきれないな。

秋のお彼岸

2007.09.23 風の戯言


 2週連続の3連休は体調を整えるには有難い。会社の今月の業績を考えると些か不安にはなるのだが・・・そんなことを気にしていたら経営なんて出来やしない。物事には全て生命があるのだ、会社もなるようにしかならない、と開き直っている。しかし、それでいいのかなぁ・・?
 
 秋の不調は籾殻アレルギー?によるのかもしれない。そういえば毎年稲の刈入と乾燥、脱穀の季節に何日か寝込むようだ。忘れていた。季節の変わり目に疲れがピークに達するのかもしれない。どっちにしても自己制御するのに厄介な身体だ。頭の大きさの割りにそれを支える首が細いのか肩こりがたまりやすく、高校生のころから灸の世話になったりで、現在では週に2回の整体をしないと気力と体力が続かない。まぁ一種の障害者だと思って通院している。重い身体を引きづりながら、人生は己との戦いなんだろうと思っている。

 健康には歩くのが何よりと思い、カメラをぶら下げて散歩にも行き、思い立って県立近代美術館に足を運んでみた。藤城清治の影絵の世界が広がり楽しいひと時ではあった。散歩目的で美術館を覗くのは不敬なことかもしれないのだが・・・。 勢いで歴史博物館にも足を伸ばした。つい先日大学教授を案内・・・始めてゆくのに「案内」とは・・・特別展の「風林火山」を見たのだが常設館を見たかった。建物は立派だが展示物は雑然としている。学芸員と政治との妥協? 何かちと寂しい感じが漂う。もう一度見に行こう。

 ある県会議員に「おい、美術館ってばさぁ、建物よりも飾るもんの方が金が掛かるんだってゃなぁ」と話しかけられ唖然としたことがある。南無阿弥陀仏、だな。
 
 

人類の足跡

2007.09.18 風の戯言


 急に目眩と動悸で脂汗が噴出し、昨日のお通夜は中座させてもらった。原因の分らぬままに今日のお葬式に顔を出したあとで医者を覗き、自宅で静かにしている。
 もう歳なのかな、思いながらもまだ終わるわけにはいかない。静に、闘志が湧いてくるのを待つ。こんな時には古い曲でも聞きながら、気の向くままに本棚の拾い読みするのもいいもんだ。

 自分がどこへ行くかを知るためには
 自分が今いるところを知らなければならない。
 そのためには、自分がどこから来たのかを知らなければならない。
      —フィリピンに残るオセアニアのことわざ—

 「人類の足跡 10万年全史」巻頭の言葉より

 今、自分がいるのは連綿と続く生命の進化の最前線にいる、と言うことなのだ、だそうだ。環境の変化に対応し、兎に角生き延びようとした生命の結果なのだろう。現実を直視し未来に夢を繋いだものの結果、としてもいい。
 遺伝子のDNAを調べてゆくと、全世界の人類の共通の祖先にいきつくという。出アフリカ! サバンナから2本足歩行で出てきた人類の祖先、それはただ一度の奇跡に遡れるというのだ。凄い話だ。
 50年ほど前、「人間、みな兄弟」と言う写真集を見た覚えがある。父親代わりの、写真好きの兄貴の書棚にあった。
 人間、みな兄弟。そうなのかもしれない。

 人は生まれ、そして人は死ぬる。
 その当然のことを忘れなければ、人は案外幸せなのだろうと思う。修証議はそのことだけを繰り返し唱えている。ただ一度の人生をただひたすら自分の為に生きる。そのことが他人の幸福に繋がるならそれ以上望むべくもない。誰が考えたか、偽とは人の為と書く。偽り、なのだそうだ。

 人間、みな兄弟。みな、悩ましい生の時を生きている。

 人類の足跡 10万年全史
 

秋の雲を追いかけて

2007.09.17 風の戯言


 9月も半ばなのに、8月がフィントを掛けた様な暑さが続く。身体に組み込まれた四季処理機構がバグを起してしまい正常に働かない。今夜もお通屋の席を途中退座させて貰って来た。眩暈と脂汗が吹き出、仏さんに申し訳ないが飼えらさせてもらった。体調不良だけではなさそうだ。
 
 前日、秋の雲を追いかけて頚城野を彷徨い、昨日は黒姫高原のとうもろこしを食べに、ついでに燕温泉の屁臭い風呂に行った。登山客でもなさそうなバスツァーの2組の団体30名ほどが加わり早々に退散。本当はここの露天で谷川の音でも聞きながら酒でも飲めれば死んでもいいのだが・・・。
 最近、体調も精神状態も余りよろしくない。歳のせい、と言えば反論する根拠に乏しいのだが、自分でももう少し脂が乗っていてもいいと思うのだが・・・神の思し召すままに!

9.11

2007.09.11 風の戯言


 あの日から6年経つのだそうだ。
 巨大なビルが崩れ落ちる映像を見ながら、倅と「アメリカが変わる」と話し合っていたのを思い出す。「自由のアメリカ」の終わりの始まり、それを直感させるに十分すぎる「事件」だった。しかし、その後の展開は「仕組まれた」と思わせるにも稚拙過ぎた。多分、歴史的にアメリカは侵略にも植民地経営にも慣れていないはずだ。塩野七生の「ローマ帝国」の話を持ち出すまでも無く世界帝国の経営にかけてローマ帝国とモンゴル帝国に適う国は無いのかもしれない。
 特に20世紀に入って動き出した「遅れてきた帝国」は、日本とアメリカは「ヘタ」な感じがする。
 どうでもいいことか・・・。

 「蓮池薫 訳」の文字に惹かれて「私たちの幸せな時間」を買ってきた。最初の翻訳「孤将」が強烈で、特異な環境にありながら彼の才能の輝きに魅せられた。翻訳とは、多分一種の「創作」なのだろう。「孤将」李舜臣の不安と孤独、いやそんな通常の言葉では言い表せないような生命と使命への絶望的な懐疑、そしてその先にある澄み切った世界。金薫と蓮池薫の合作は静かな深い感動をもたらしてくれた。

 男には、時に命に代えてもやり遂げなくてはならないものがある。誰の賞賛も理解も無くてもだ・・・。狂っているのかも知れない。でも、それでいいのだと思うことにした。