地震後 1ケ月
地震後1ケ月が経とうとしている。
街中はまだ倒壊した家屋の無残な姿が
7月13日午前10時13分のまま時間を止めている。
日中の暑さに、気がついてみればもうお盆。
立秋が過ぎていた。
何故か突然に島崎藤村の「初恋」を思だされた。
50年も前の、掻き毟られる様な詩の感動が蘇る。
何故だろう?
「初恋」
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
なんという美しい日本語だろう!
「小諸なる古城のほとり」
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよう波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む
「千曲川旅情の歌」
昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
この命なにをあくせく 明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか栄枯の夢の 消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば 砂まじり水巻き帰る
鳴呼古城なにをか語り 岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ 百年もきのふのごとし
千曲川柳霞みて 春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて この岸に愁を繋ぐ
突然に2度と帰ることの無い15の頃を思い出している。
俺はどうかしているのかも知らん。
今私に出来ること
KOKIAなる歌手のことは余り知らない。
何故この人が柏崎で歌っていたのかも知らない。
多々歌の題名に感動した。「今私に出来ること」
そうなんだ。いろいろと考え込んで結局何も出来ずに部屋でため息をついているより、誰か何か言ったとしても自分の人生の時間を熱くするのは自分だけだ。
今日、天皇皇后両陛下が柏崎に見舞いに来てくださいました。高齢で多忙で重い荷物をしょったお二人が柏崎に来られた事の意味は大きいと思う。
安田の田圃は暫らく前から色づいている。
本当に、時間は確実に動いていて、もう直ぐお盆になる。
一年が速すぎて、何か大きなことがあり過ぎて一度に年を重ねたような想いがする。
まだゆとりは少ないようだ。
地震後2週間
激しい怒りから底の見えない落ち込み、ジェットコースターのような感情の起伏が少しづつ落ち着きを取り戻してきた。なるようにしかならないと言う諦めと、きっと何処かで反転するだろうと言う自分への希望。
いろいろな感情がごちゃ混ぜになって2週間が過ぎた。
倒壊した家の取り壊しや片付けが進み、町は又違った様相を見せ始めた。生活の再構築が出来ないまま困惑を隠せない人たちも多いと言う。
後ろを振り返っている暇も無い人たちもいる。
やがて町は時間と共に蘇っていくのだろう。
花火
7月26日
何事も無ければ、今日は花火で今の時間は帰りの車で混雑していたのだろう。
たった一発、誰もいない海岸でコンビニで買った花火を揚げてきた。ささやか過ぎて無駄な抵抗に近いのかも知れぬ。ただ、そうしたかっただけだ。