リッツカールトン・ホテル

2007.04.18 風の戯言


 25歳で東京の夢破れて田舎に帰り建設業を20年。45歳でコンピューターに魅せられて今の会社を立ち上げ今年で20年目、65歳。最初の計画では経営を若手に任せ、65歳になったら芸能界にデビューし渋い脇役をやりたかった。バリで年金生活を送りたかった夢もあり、本当は何がやりたいのか分からない。
 引退も、いざ真剣に考え始めるとなかなか厄介なことが多い。若手育成の名目で社長としての責任放棄をしていたのか、との自責もある。そうなのかも知れないし、経営の当然のことをやっていなかったのかとも思う。
 いろいろ悩んで、もう少し形を整え闘う集団に戻さないとあっという間に「馬糞の川流れ」になってしまう。で、もう少し頑張ることにした。と言うより最後の仕上げに全精力を傾けてみようと思う。
 と言うことで老体を奮い立たせ大塚商会主宰のセミナーを受けに通い始めた。講師は元資生堂の白井さん。これがまた凄い! この人に出会い、俺は再生できそうな希望が沸いてきた。
 講習の途中、今を時めく「リッツカールトン・ホテル」のDVDを見せてもらった。サービス業は石ノ森章太郎の「ホテル」が原典と思っているけれど、まさにそれ!
 そういえば何年か前、シンガポールで遊んだ時あのラッフルズがリッツカールトンに経営委託をしていたように記憶している。なんで? と思いながらその疑問を忘れていた。

 いま、とんでもない何か大きなうねりが押し寄せている。もう一度この戦場で戦える喜びに身体中の血が騒ぎだしている。知力と度胸と体力を尽くす営業の現場は、やはり自分性分に合っているのかもしれない。 
 

女房の還暦 沖縄の旅

2007.04.16 風の戯言


 妻が還暦を迎えた。
 嫁に来て35年ほど経つらしい。その間、旅に連れて行ったのはグアムだけ、らしい。だから旅に出たいと言う。電車の旅か短時間の飛行機。昨年、悪友と沖縄の美ゅら海水族館の大水槽の前でジンベェ鮫を見ながら飲んだビールの美味さを話したら何が何でも同じ体験をする、と言う。大人の遊びとはそういうものだ、と。
 で、会社に2日間の休みを貰い2泊3日の沖縄の旅をし、本当に心行くまで楽しませてもらった。ありがとう。

 到着した当日は国際通り散歩。2日目は摩文仁の丘の平和祈念公園で献花して一路「ジンベェ鮫殿見参」にまっしぐら。途中で雨も止み沖縄記念公園は暑いほどの日差し。幸運を感謝しジンベェちゃんを目掛けて館内駆け足。ビール、ビールと喚きながら到着すると、そこは満席! と、なんと、目の前の人が立ち上がり空席が出現! そこに滑り込み念願のビールにありついた。何と美味かったことか!

 沖縄には遠い過去と近い過去と現在があり、マジに見つめると切ない。戦を考えると、いや平和を考えると必要悪としての武力が出現する。しかし、それは何なんだ、と。人間とは何なんだ・・・経営を考えたりする。考えなくてはならないが、考えると現実は随分と重い。

 ジンベェちゃんとビールを飲む、それがとりあえず最高の幸せ、なんだ。

大黄河 

2007.04.08 風の戯言


 久々に宗次郎の大黄河に浸っている。

 春の訪れた庭を片付け、小さな焚き火を燃しながら大黄河を聴いていると心が満ちてくる。気の遠くなるような時間の中で、人は無意味に近い営みを繰り返しながらも健気に生きている。さあ、元気を出して頑張ろうよ、大黄河はそんなことを語りかけてくる。
 音楽には不思議な力があるんだよね。

 先週一週間は体調が最悪だった。多分人を憎み、怒りが頂点に達し、心のバランスが崩れていたせいかもしれない。シーザーは「寛容」を説いた。人を信じ、許すことが大切なんだろう。あくまでも自分にとって。
 
 6日は新潟産業大学、新潟工科大学新入生の歓迎会を暖かい雰囲気で開催できた。参加者は学生・教授・市民合わせて600人。広い会場を一杯に埋め尽くし、交流の輪が広がった。こんなことから縁あって柏崎を選んでくれた学生達がこの町を好きになってくれたら本当に嬉しいと思う。
 夕方7時から会社の創立20周年目のパーティを開いた。少し気取って生バンドの友情出演もあり、この20年を見守り続けてくれていた副市長さんも来賓で出席して頂き、温かいいい会になった。
 創業時、自宅から50CCのバイクで通い続けた妻は社員のにくい演出に目を真っ赤にしていた。彼女の努力が実り始めている。
 そして昨日は、その妻の還暦。娘は婿を伴い、倅は東京から駆けつけ楽しいひと時を過すことができた。
 歩いてきた道は曲がりくねった道だけれど、幸せだった、と言う一言に少し後ろめたさもあるが、嬉しいと思った。

 大黄河は中国奥地に源を発し、モンゴルを迂回し急流となって山を削りやがて大平原に出る。人の心の旅路は、一筋の川の流れに似ていなくもない、と司馬遼太郎はそう言うのかも知れない。
 

黄砂舞う日々

2007.04.02 風の戯言


 黄砂の降る音が聞こえるほど山も霞んでいる。
 中国大陸、モンゴルの砂漠から飛んでくる。ロマンだなぁ。
 犬の散歩しながら黄砂の見物する。思いを中国に馳せている内に半藤一利の昭和史や文春4月号の小倉庫次侍従日記や鹿島昇の怪しげな解説本を思い出してしまった。失敗の本質、山本七平の「空気」なんてのを頭の中をごちゃ混ぜにしてガラガラポンすれば昭和史と言う上から下まで無責任な当時の日本の姿、いや立派な遺伝子のために現在もこの渡世を見えなくしている無責任な迎合社会が見えてくる。
 右翼はテロをしなくなったし、左翼は火炎瓶を置き忘れてきている。「わるうござんした!」と腹を切るやつもいなくなって、世の中みんな植木等になってしまった。

 夢や希望、ナンテ言葉はもう死語になり、言葉に命を賭ける情熱が失われた。

 恥知らずがボリューム一杯に上げて、自分でも信じていないことを山に説教している。

 言葉が行動から遊離し、誰も信じていないことをテレビも役人も虚ろな目で単調な言葉で吐き出している。

 何かおかしいぞ?
 大きな地震が来る前に、日本人は狂うのだそうだ。石黒耀の本にそんなことが書いてあった。日本の社会変動は地震のパワーで起して、てぇへんだーって人間が後からついてくる。ええじゃないか、ええじゃないかと騒ぎ出す?

 下天は夢ぞ、ただ狂へ! 誰が言っていたかな・・・

 写真は4月1日午後
 八石山が黄砂で霞んでいる。これもまたいい風景。
 

戦い済んで日が暮れて

2007.03.29 風の戯言


 夕方から新潟の会議を二つ終わらせて、古町に寄って最終に「きたぐに」で家に帰る。新潟発22時55分、新潟はまだ宵の口でも車内はもう夜中。疲れ切った乗客の一人となってシートに身を沈めると深いため息が出てきてしまう。
 長岡から東京発最終便の仲間達が乗り込んでくる。闘い疲れて、でも生き延びて家に近づいた安堵感が表情を緩めている。
 人は何故闘うのだろう?
 戦いは人を疲れさせる。
 闘わなければ、人は楽なのだろう。
 戦いを放棄すれば、敵が攻めてきて殺されるか奴隷になるか、只一度の人生を自由に生きる選択権は簒奪される。
 心の平安は、戦いに勝ち残った、その僅かな時間だけしかない。
 もう眠い。何を書いているか判らない。寝る!