新潟産業大学・新潟工科大学新入生歓迎会

2006.03.26 風の戯言

 今年もまた柏崎の大学に500人を超える新入生が入学してきます。
新潟産業大学と新潟工科大学、それぞれに大学院が併設され、2000人を越える学生達がこの町で4年間の青春を過ごしてくれることになります。嬉しいことです。

 柏崎は人口10万人足らずの小さな町であり、他の地方都市と同じように様々な課題を抱えています。しかし、この町は現在私達が住んでいる町であり、素晴らしい町です。
 海があり山があり、港があり過疎の村もあります。数々の文化財や自然環境に恵まれ、世界一の原子力発電所があり、何よりも工科系大学と経済系大学があります。先人達が残してくれた心の財産をネットワークし、見方を変えたり、やり方を変えたりすれば、多分柏崎の未来はもっと希望に満ちた明るい地域になるだろう、と思います。

 JFKが大統領就任式で語った有名な言葉
 ”Ask not what your country can do for you, Ask what you can do for your country.”
 この言葉は新渡戸稲造が英語で記した「武士道」の一節の引用だったそうです。

 またApple社CEOスティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日スタンフォード大学の卒業式で行った祝賀スピーチも感動的な言葉で結ばれています。
“Stay hungry, stay foolish.”

 現代は行動の時代であり、愚直な行動力が求められています。自分を変えることには勇気が必要ですが「人間は人間の未来である」というマルローの言葉を信じたいと思います。
 「この町が何をしてくれるかではなく、自分がこの町に対し何が出来るのかを問え」
 小さな勇気を持ち寄って、私たちと一緒に柏崎の町作りに参加して頂ければ、この会を準備したスタッフのとても大きな喜びになるものと思います。

今日は新潟産業大学・新潟工科大学新入生歓迎会にご出席頂きありがとうございました。

鯖石賛歌

2006.03.26 風の戯言

 
 今日は温かい風が吹いている。
 自宅の庭にはまだ雪が残っているし、近くの田圃もまだ白い雪に覆われている。だけど鯖石側の堤防が顔を出し、待ち望んだ「ランちやん」との散歩が出来るようになった。

 黒姫山と八国山、そして鯖石側が私にとって掛替えのない風景で、その風景に溶け込んでしまう愛犬との散歩の時間は貴重だ。
 変化の激しい情報産業に携わっていても、自分の体の中を流れる「時間」は農民のままなのかもしれない。だから時々時計を戻してやらないと大切なものが狂ってしまう。

 司馬遼太郎と陳舜臣の古い対談集を読んでいたら、イスラム暦は1年が311日単位だから農業が出来ないのだと言う。ナイルの氾濫がエジプトの暦と測量技術を発展させたというハナシとはどう繋がるのだろう、等と思いながら窓から庭を眺めている。いい時間だ。
 山茶花が痴呆症に近くなった俺を見ている。

春のお彼岸

2006.03.21 風の戯言

 今日は春のお彼岸の中日、春分の日。
 お天道様が真東から上り真西に沈む。夜と昼の時間が同じくなり、今日から一日毎に日が長くなる。
 彼岸は煩悩を超越した悟りの境地。対してこちらの此岸(しがん)は迷いの世界。煩悩を超越するなんて、やはり死んだ時にしか出来そうもない。まぁ、そんなこんでご先祖様に手を合わせる・・・何でここに俺がいるのか?って。問われてご先祖様も口篭るだろうけれど・・・わかんねぇな、って。

 祖霊まします鯖石の地はどうやら今年の冬を乗り切ったようだ。雪の消えた地面から蕗の薹が顔を出し始めた。まだ、摘むには申し訳ないような、か弱い命に見える。が、此処までくれば、春はもう駆け足。

 春のお彼岸、って何かいい感じの響きがあるんだよね。

 

WBC 日本の優勝

2006.03.21 風の戯言

 WBC 対キューバとの決勝戦は面白かった。
 最近、マスコミ全体が自閉症と言うか鬱病じみていたので荒川静香と王JAPANには助けてもらった思いが強い。大袈裟かもしれないが、自信喪失の日本が大きく変わる変換点になったかの感がある。
 失われた10年はチャレンジすることをみんなで申し合わせて抑制していたように思える。未来よりもまず足元を固めよ、と。それはそれでとても大切なことだけど、大きな目標に向かってチャレンジしてゆくことこそもっとも大切なことだと思うのだが・・・、多分そんな管理社会の抑鬱から解放してくれたのではないかと思う。
 韓国に負けて、誤審で負けて、それでチームに火がついてしまった。
 それにしてもイチローのリーダーとしてのムードメークはすごい! 王監督の采配もすごい! 人間的な魅力を改めて感じた。
 久しぶりに野球の観戦を楽しんだ。野球を楽しんでいる選手達の姿が爽やかで、誇り高くて、とにかく嬉しかった。

沖縄の旅

2006.03.13 風の戯言


 沖縄に旅をしてきた。

 新潟空港から那覇まで約2時間。旅程約1500キロ、温度差約20度。
 柏崎の自宅はまだ1メートルほどの雪に覆われ、訪れた沖縄はもう桜も終わって色とりどりの花が咲き誇っていた。那覇の繁華街「国際通り」は半袖でも汗ばむくらい。
 悪い冗談!、ホント、いい加減にしてよ!って、そんな感じ。
 
 仕事の関係で宜野湾市の進めている情報化の現状視察。コンピューター化そのものも興味あったけれど、普天間基地移転に伴い経済的な自立を目指している沖縄の現状は他人事では済まされない迫力があった。
 市役所の屋上に上れば、普天間基地はほぼ一望の下に見渡される。市の中心部に極東有数の米軍基地が現存し、その周囲を取り巻くように人口10万の町が広がっている。一見「板門店」よりはのんびりして見える風景も、事あれば現実に機能する空軍機が、スクランブル指令を待っていると言う現実は凄みがあり過ぎる。

 それでも沖縄の人たちは明るかった。みんな底抜けに明るかった。遠来の客人をもてなす沖縄の人たちのやさしい心配りなのかも知れない。

 時間の迫る中、無理お願いして摩文仁の丘を訪ねた。戦争犠牲者個人名を刻み込んだ「平和の礎」に花を手向け、祈りを捧げたかった。気障に聞こえるかも知れないが、終戦を記憶している者にとってこの地名は重いし、どんな議論も空論のように思える。
 昭和初年から20年まで、司馬遼太郎の言を借りれば日本の歴史の中「奇胎」としか言いようのない期間、日本は本当に狂っていたのかもしれない。重いね。