山茶花 一輪
今日は一日中自室で過した。
本屋から届いた浅田次郎の「中原の虹」に沈殿し、清朝末期の中国に漂っていた。「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」そして今回の「中原の虹」。ストーリーテラーとしての構想力の大きさと物語の奥深さに魅了され続けている。一言で言えば「面白い!」のだ。満州国建国の前後に動いた馬賊の棟梁張作リンはいつもステレオタイプの馬賊だった。今回は彼に血が通った。
読書に疲れて窓の外に目をやれば、垣根の山茶花に一輪の花が付いていた。
山茶花の人待ちて咲く心あり 佐藤壷泡
義兄であり親代わりであった秋雄兄がガンの手術を終えて帰宅したときの句である。その直ぐ後の11月25日、帰らぬ人となった。現職の柏崎医師会長 享年53歳。壷泡は「こほう」と読み、ゴッホから取ったらしい。医師として仰ぎ見るものがあったのだろう。もう33年が過ぎる。
旅を終えて、改めてみる柏崎の風景は美しいと思った。
山は紅葉、田圃は刈入後に伸びた稲が黄色く染まっている。葉が散って枝ばかりが目立つようになった桜の木も何か新鮮な美しさがある。
何もかもが誇らしく見え、嬉しくなった。
様々に想いの中に浸って、旅の後の疲れを忘れさせてくれた一日だった。
上海視察旅行
上海・蘇州・昆山・武漢 5日間の旅をしてきた。
柏崎商工会議所による地元の中国進出4社を訪問し、それぞれの活躍ぶりを視察してきた。上海は3回目になる。最初は25年も前になる。2回目は5年前。その変り様は「ものすごい!」としか言いようが無い。現代中国の熱気と危うさで目が眩みそうになった。特に上海黄浦江に立つ東方明珠タワー256メートル?から見る上海の全景は圧巻である。
今日お昼前に富山に帰国、自宅に帰って改めて中国の地図に見入る。マスコミや知識人の伝える中国の危うさを俺はむしろこの国を統治している人たちの努力と苦労としてこそ知るべきではないかと思った。
13億の人間が、とにかく食えるということが凄い。その上未来に夢を描くことが出来るとしたら、この国の人たちは夢中にならざるを得ない、と思う。
この国の歴史と現代の熱気に触れずして、読者に迎合したがる日本のマスコミは、また大きな間違いを犯しそうな気もする。
写真は浦東国際空港から市内に向かう道路の橋
いい日旅立ち
この秋は4組の結婚式に招待されている。
11月3日、3組目の祝言に親子三人で御呼ばれして来た。
花嫁が娘の友人で、女房が花婿との間を取り持ち、そして花婿の親父が某会社の社長で俺の友人。乾杯の音頭の栄誉を頂き、気持ちよく、本当に心から「おめでとう」の乾杯が出来た。
不思議な縁で、両家の集落とも建設業の現役時代、土地改良の仕事をさせてもらっていた。30年前の馴染みの人たちの顔も見え、いい気持ちでお酒を頂いてきた。
建設業とコンピューター屋、熱気球とパソコン通信、全く違う世界で俺は人の何倍も生きたような不思議な気持ちになる。そして時折こんな繋がりがおきる。
11月の末に、40年前北条町の田圃で一緒に泥まみれになっていた人たちと一杯飲むのに誘われている。嬉しいね。
12月の始めには親子三代にわたりお付き合いさせていただいている家の末娘の結婚式に呼ばれている。彼女は私の大切なガールフレンドでもある。婿さんは親子四代に渡るお付き合いの家の近親者である。みんな大切な、俺にとってとても大切な家の「祝言」なのだ。