唯我独尊
久し振りに「未完成」に寄ったら、マスターが「秋ですねぇ」と言いながらシャンソンのレコードをかけてくれた。
まだ早いか? やはり枯葉散るコロが一番なんだね。絵画館前の銀杏並木とか表参道のケヤキ並木とか信州の唐松林とか・・・。
それはまぁいいけど、歳のせいか疲れが蓄積する。気が付かないでいると「欝」になり、世の中みんな大した事無いように思えてくる。危険だね。
俺は何時までも戦場にいる。死ぬ直前まで戦場を駆け巡っていたい。最近またそう思うようになった。
今日新幹線の中で考えた。「自信」て何だろう? 現在の丸ごとの自分を異常なほど高く評価して、それを信じて前を向いて走ることだと。唯我独尊、それでいいのだ、と。
情けないほど単純なことじゃないか。
64歳の秋に思うこと
秋、ですね。
心臓を半分抉り取られたような夜が更けていく。
別に何があったわけでもない。でも、何も無かったわけでもない。毎日毎日、波風が立って波乱があって、それが日常であり、そして一日が過ぎていく。
午後から仕事の関係で新発田に出かけ、3時間ほど熱っぽい会議をこなし、夕暮れの高速道路をノンビリト走ってきた。スーパーで今年最後のスイカを買ってきて、あまり美味くないスイカを美味しそうに食べる女房を見ていた。スーパーで松本零士が描く女のような人を見た、そのせいでもあるまいに・・・。
更に夜が更けていく。久し振りに仏壇にお線香を上げ、暫らくポツネンとしていた。
気が充実してくるのをただじっと待つ、それもいいものだ。
人は何処から来て何処に行こうとしているのか、風のように、自分の心すらも掴めない。一瞬の空を生きる、そのことは判っているのだが・・・何なんだろう、この隙間風は・・・?
愛犬チコの物語
子供の頃、家にはいつも5,6頭の犬が居た。
家長格のチコ、シェパードのクロ、セッターのペック、雑種のロンやコロ。チコは牝犬ながら家長としての風格があった。クロは図体の大きな小心者、ペックは冗談を理解し俺とじゃれあっていた。ロンはスタイルがよく気恥ずかしそうに俺に寄り添っていたし、コロは風来坊。3人の飼い主の家を気の向くままに移動していた。
食事と散歩は大騒ぎだったが、明るかった。昭和30年代初めの田舎の生活と風景が鮮明に蘇ってくる。
吹雪の夜、チコが2匹の子を産んだ。1匹は既i
冷たくなっていた。死んだ子犬を、雪の中、裏の小川に捨てた。
翌朝チコの小屋を覗いてみると母親は死んだ子犬を舐め続けていた。川の縁に落ちた子犬をチコは咥えて戻ってきていたのだ。「チコ、もう死んでいるんだよ」と子犬を取り上げようとしたら、逆らったことのないチコが低く唸り、目に一杯の涙を溜めて俺の顔を睨んでいた。チコの哀しさが身体を突きぬけ、小屋の中で俺とチコはワンワン泣きしていた。
もう50年以上も前の、遠い昔の話だ。
チコと、クロと、ペックと、ロンと、コロと、そうそうペスもシロもみんな集まってきて俺を散歩に誘っている。今は、そんな光景が切ないほど懐かしい。