地球外生命体
地球の歴史の、気の遠くなるような時間から比べれば人間一生なんて化学変化にも似た一瞬に過ぎない。ではあるけれど、生身の人間の感覚的な時間としては結構長いものとして感じる。特に人生50年が弾性限界を超えて80年とか90年に延びている。峠の向こうの長い坂をトコトコと下りてゆくのは、自分としてはキツイ感じがする。
老後なんていう仮説の未来を前提とすると.生きる力は半減するように思える。明日何があってもいい、今日を力の限りを尽くせばいい、のだ。
何でこんなことを言うかというと、少しの酒が翌日に応えるようになった。明日、精一杯に生きようと思うと今日の享楽を抑える・・・要は酒を控えることなのだが・・・詰らぬ人生になってきた。
歴史の転換点
1995年に新しい時代が始まったといわれる。18世紀中葉からの産業革命が終焉しグローバリゼーションとITにより世界は大きく変わった。
そして今年、また何かが大きく変わる予感がしていた。それが何なのか見当もつかないでいたが原油価格の狂騰、食糧不足、イランのベトナム化、サブプライムローン問題による金融危機、地球温暖化の顕在化などからあるものが見えてきた。
古い本に「中国の近代化は悪夢」との欧州の経済学者の言葉があった。環境問題程度に考えていたが急激な経済復興により食料初めあらゆるものが消費され、需給のバランスが崩れ無秩序なインフレが始まった、というのが正しいのかもしれない。
現在をどう見るか、それはどう生きるかに通じる。読み解く鍵が必要だ。
6月の風
気力と体力の整合が取れず自家撞着を起こしている。あまり素敵な状態とはいえない。時折、「明日があると思うな!」なんて叫びながら飲んでしまうので、やはりそれが一番いけないのだろう。身体は内臓から年齢を刻んでゆく、多分そうなのだろう。66年間何のトラブルも無く動き続けるなんて、コンピューターやネットワークに関っている者にとって信じられない世界なんだ。凄いもんだね。もう少し丁重に扱わねば・・・。
先日、中越沖地震1周年の記念イベントの会議があり、その企画に違和感を感じ、年甲斐も無く暴れてしまった。大人気ない振る舞いだが、同席していた知人達から「よく言ってくれた」と慰められた。何かチグハグなんだなぁ。
被災者として、追悼の意を表し自らを励ますことは勿論だが、今は中国四川省やミャンマー等に同じ被災者としての眼差しが必要なように思う。被災者であるからこそ励ます力があるのだろう。
それにしても中国四川省の被害の大きさには驚く、というより想像を絶した状況なのだろうと思う。死傷者、被災者の数が桁違いだ。地震ダムの決壊による2次災害の起きないよう祈るしかない。
この超大規模地震により、中国が大変なことになりそうだ。食料、住宅等の不足から不満が広がり「盲流」となって移動を始めたら政府はどう動くのだろうか。大陸の歴史はそんな妄想を掻き起す。
66歳
66歳の『お誕生会』を愉しく過した。
未完成に7,8人の仲間が集まってくれて、何時ものようにピアノとベースとドラムの生演奏を聴きながらワインと話に酔った。久し振りの午前様で、翌日は朝から4組7人の来客と夫々にかなり突っ込んだ話が出来た。信頼をベースに長い時間をかければ、或いはとんでもない花が咲くのかも知れない。66歳の出発、まだ何か出来るのだろうと楽しみにしている。
今日はトライネットの理事会と総会。名ばかりの副理事長ではあるが障害者のネットワークに何か役に立つことが無いか、ともう一期だけやってみることにした。障害者自立支援法により福祉政策も様変わりしている。健常者も障害者も、健康な人も病人も、富者も恵まれない人もみんな同じ時代、同じ地域で生きている。お互いがお互いを必要とし尊重する地域社会が必要なのだろう。俺に何が出来る?
ジャズでも聴きながら、酔っ払って人の頬っぺたにやたらキスをしながら生きているのもいいもんだ。
風に吹かれて
息子が5月の連休を追えて東京に帰るとき「親父、この本面白いぞ」と置いていった『編集者という病い」は成る程刺激的だった。最近急成長の幻冬舎、見城徹社長の日常を搾り取ったような描写が凄い。尾崎豊との出会いから彼の死まで。才能が一点に突出しバランスの取れない精神と肉体、その折り合いをつけるために芸術が生まれ、果てしなく突出してゆく。芸術は地獄だね。
坂本龍一との4年間も凄い。編集者とは天才と狂人ととことん自己をぶっつけあうことによることしか作品は生まれてこないのかとも思った。
一個の天才と狂人が生きるには、やはり大都会しかないのかな? 田舎で生きるには・・・まず理解者がいない、孤独を癒す無償の愛も・・・無いのだろう。
五木寛之は初期の「蒼ざめた馬を見よ」「さらばモスクワ愚連隊」の強烈さが醒めて、最近の親鸞仏教の本はあまり好きではない。人間を「この世に投げ出された存在」だとしても「流されてゆく日々」とまでは妥協は出来ない。走っている途中で人生の幕を下ろすエンデングは描けない。俺は、命の尽きるその日まで闘い続けたいと思う。
なんとだろう? 自分の夢? 自分の肉体? どんな時にも燃焼しつくせなかった自分の臆病?
自分の存在そのものを許せない・・・だから自分が消滅するまで戦いをやめるわけには行かない・・・体調不良で2,3日寝込んでいて・・・そんな風に思った。
老人性鬱病・・・うーん、それも嫌な言葉だなぁ。