旅の途中
「キンタマケルナ」を「金太、負けるな」と読むか「キンタマ、蹴るな」と読むかは貴方自身の品性による。
昔のある風の強い日、さる御方達といささか聞こし召し、勢い余って南町に繰り出した。
竜宮の姫達に浮かれ、「キンタマケルナ♪ コリャコリャ」とカラオケとメチャ踊りが最高潮に達した時、正妻から電話が入った。
「家の屋根が飛んだ! すぐ帰れ !」。
風なんて忘れてた。
帰ってみれば安普請のトタン屋根は捲られ、玄関の前に垂れ下がっていた。
他人様には迷惑を懸けなかったけれど、何で我が家だけなのか腑に落ちなかった。
調子に乗って少々ハメを外し過ぎ、神様に横っ面をひっぱたかれた感じ。
イヤイヤ参ったね。
またある日、仕事を終えて家に帰ったらすこし焦げ臭い。
2階に上がってみると仏間の軒から火が出始めていた。
「おいおい、家が燃え始めているぞ」とそっと言ったハズなのに、階下から「ギャーッ」と怪獣のような叫び声がした。
俺の帰宅を待って燃え始めたようで、消化器で簡単に消えた。
念のため消防署に電話したら大型消防車3台駆けつけてくれ、お隣近所や友達や野次馬が集まり、大ボヤ騒ぎになったけど、「おおごと」にならなくて良かった。
無神論を唱えながらも、いつもギリギリのところで誰かに助けられている。
時々お灸を据えないとまともな人間にならない、神様はそう怒っているのかも知れない。
何を言っても嘘っぽいけれど、3.11の後夏草が伸び始める頃、神主に同行して貰い南相馬の海を眺めてきた。
お天気も良く、何事もなかったような静かな海だった。
実は3.11の前日、1人の社員が福島第2を訪ねていた。
震災の時には別の2人が仙台で新幹線に閉じ込められた。
あの震災を思うと自分達だけ助かったのがなんとも申し訳ないような気持ちになる。
祈りで神が手心を加えてくれるはずもないけれど、人には祈ることしか出来ない。
運命は不思議としか言いようがなく、みんな「旅の途中」なのかも知れない。
昔、「谷間に三つの鐘が鳴る」という曲があった。
人は小さな谷間で生まれ、結婚し、やがて土に還る。
何千年、何万年も人はそうやって不思議な運命に寄り添われて生きてきたのだろう。
「かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこに行きけむ」美智子皇后。
⒋月10日は両陛下60回目の結婚記念日。
そして「平成」が過ぎて行く。
柏﨑日報 3月23日 掲載分
早すぎた春
山の3月・・・どこかで春が生まれてる♪
根元に雪を抱いた八石山の木の芽が膨らみ始めている。
善根佐之久では梅の蕾が色づいている。
まだお彼岸にもならないのに・・・カレンダーと季節感がズレて、
この時期を鯖石弁では「キノメホグレ」、バカ者が狂い出す季節という。
喜寿を迎える歳になって「もう少し勉強しておけば良かったなぁ・・・」なんて、
クソシジイまた始まったかと罵声を浴びそうだが、人並みにそんなことを考える。
人になんと言われようと、この歳になってやっと教育の重要性に気が付いたのだ。
福沢諭吉の「学問のすすめ」には「人間に上下はない、けれど現実に貴賤貧富はある。
賢人と愚人の別は学ぶと学ばざるとによっている」と明治5年の初版本の巻頭にある。
「攘夷」から「開国」へ世の中がデングリ返った明治初期、
侍も町人も右往左往する中で国も個人にも独立不羈を説いた書は不気味な凄さを持っている。
固定化された身分制度が崩壊し、自分達を支え続けた価値観が雲散霧消し、
突然自由な社会に放り出された人間がどう生きていけばいいのか。
処世訓のような漢学の知識だけでは役に立たない。
人間存在の平等を説き、経済社会の本質を優しく、厳しく説いている。
「勉強しろ」と言うが何の為に学問が必要なのか誰も教えてくれなかった。
だから勝手に生きてきた。お陰様で大学を卒業するのに7年かかってしまった。いやはやだこての!
現在職業柄、加速度的な進化する「人工知能」の未来に興味をもっている。
AIは子供達の未来に何をもたらすのか、何を勉強すればいいのか。
子供達が一番苦しんでいる。
柏崎のアィディンティテとは何か。
他の都市と比べて見ると、寺沢石城の滄浪館、藍沢南城三余堂、
新潟短期大学など先駆的な学塾が地域の歴史に残した「教育」の大きさに驚かされる。
市長も塾経営者だし、市会議員にも塾関係者が何人かおられる。
地域経営100年の視点から、もう一度「学問のすすめ」の実学教育を見直したらどうだろうか。
リーダーの無私と情熱が組織を動かし、未来の「時」を創る。
現在、最高学府を出た人達は屁みたいに平気で嘘をこき、カラスにキンタマを持ってかれてしまっている。
人間五十年でしかない。
不器用でもスジを通せば、少なくとも自分を信じることが出来る。
「必要なのは学歴ではなく学問。学歴は過去の栄光、学問は現在に生きている」(田中角栄)。
柏崎日報 3月9日掲載分
雀の涙
2月23,24日は「おぢや風船一揆」。
雪原に色とりどりの熱気球が舞う雪国に春を呼ぶ風物詩。
雪原に気球が浮かぶ絵のような世界に、童謡「春よ来い」(相馬御風)がよく似合う。
先週、山本山を訪ねたら西中の会場予定地に「風船一揆」の旗が立っていた。
雪は少なめだけど、晴れてくれるといいんだが・・・。
ただ、最近は気球を上げる雪原会場にも足が遠退いた。
夜の交歓パーティにも出席出来なくなり、家で指を咥えているだけ・・・歳かねぇ・・・。
話を変える。
「小さな雀の物語」の後も雀たちが庭に遊びに来ていてくれている。
掌で餌を啄ませるのが夢なのだが、野鳥は警戒心が強く無理らしい。
無理と言われると俄然ファイトが沸いてくる。
野鳥の会の友人は、冬は餌が少ないので、少しでいいからやって欲しいと鳥の親戚みたいなことを言っている。
彼は巣から落ちた孵化したばかりの雀の雛を育て、家族のように一緒に暮らしていたという。
ある冬、炬燵の中にいたのを知らないで踏ん付けてしまい、その話になると声を詰まらせる、まるで人間みたいな人間なのだ。
そうか、冬がチャンスかと思うが中々慣れてくれない。
雀たちは窓の近くで餌を催促するけど、窓を開けた瞬間みんな嬉しそうに逃げていく。
俺の顔がそんなに怖いか !
でも、身を隠して見ていると家族だけでなく、兄弟や親戚から加納の雀をみんな呼んでくる。
自分の分が無くなるのに人のいい雀だ。
ただ彼等は内気な俺の遊び相手になってくれている。
観察しているとスズメたちの「リスク管理」には驚かされる。
少しでも危険を感じると、東北地方でいう「てんでんこ」、バラバラに逃げる。
危険を察した順から逃げ出す。
何があっても、まず自分だけは生き延びるということか。
「避難訓練」が行き届いているのかな。
垣根代わりの竹林や建物の屋根で暫く様子を見ていて、一斉に飛び立つ。
弱い者はまず逃げる、そうして命を繋いできているのかも知れない。
「雀たち今日の夕飯食ったかな」
なんて一茶ばりの名句を作ってみたけれど、夏井いつきさんにボロクソにされそうだ。
「遊んでいろよな、雀でさえも生きる為には苦労する」
誰だったか、昔の落語家の色紙が記憶に残っている。
雀も人間も、目が2つで手も足も同じ2本づつ。そして同じように、涙を流しながら生きている。
柏崎日報 2/23日掲載分