秋の片貝
8月31日(木)、商工会議所の会で片貝煙火工業の本田社長と一緒になり、酒を飲みながらオヤジの善治さんの話になった。
小粟田原で気球を上げて遊んでいるのを見つけ、市長の星野行男さんと四尺玉花火の本田善治さんに声を掛けて貰った。
小千谷「風船一揆」
俺の人生が大きく変わった時だと思う。
大勢の人達のお世話になった。
小粟田原は稲が黄色く色づき、大地の恵みに満ちていた。
「ここがほら小粟田原だよ秋の雲」 草風
本田善治さんのお墓参りしたくなって浄照寺を訪ねた。
このお寺は藍沢南城と深い繋がりがあり、一度来たかった。
本田さんのお墓は片貝中学校の上「仲侠山墓地公園」にあった。今週末から「片貝花火」が始まる。
「訪ぬれば夢ひと文字の花火かな」 草風
墓参りを終え、須坂屋のそばを食べにドアを開けたら本田社長が帰るところで出会った。縁のある時には不思議な出会いがある。
須坂屋のオヤジと夢を語り合った40年前を思い出す。
「須坂屋の窓辺に菊揺れ40年」 草風
無担保無保証
子供の頃、納屋の通路の梁に縄をかけたことがある。
何で自らの命を縮めようとしたのか、今では判らない。
25歳で家に戻った時も、常に思い詰めていた。
45歳で独立し、事業が失敗し人様に迷惑をかけたら自決しようと考えていた。白装束と短刀は常に手元に置いていた。
他人から見ればどうかしていると思えるだろう。
銀行からの借入金の経営者としての債務保証は、結構ストレスになる。
創業30年、小さな一流企業を目指している。
次世代の後継者達にその重圧を掛けたくなくて、銀行団との無担保無保証の交渉を続けてきたけれど、どうやら念願は叶った。
75歳にして、冥途が近くなって、自裁を考えなくても良くなった。馬鹿臭い話だけれど、俺の頭は初めて自由になったような気がする。痴呆症が悪化したのかな?
俺は現役現場マン!
一見、平和そうな世界で「分断」が深まっているようだ。
貧困に身を沈めているものにとって、富裕層は憎しみの対象になる。「食うこと」だけが「喫緊の課題」であり、夢や自由は別世界の話でしかない。
若い頃、当然のように自分の生き方に藻掻き、少し明かりが見え来た頃、俺は自分で辿り着いた哲学に、些かの自信を持ち、「流石、石塚」と自惚れていた。
通っていた大学の学長から「助手になれ」との誘いもあり、有頂天になっていたのだろう。
中学生の頃、教頭が「この男は鯖石郷で20年に一人」と担当の先生に言っていたという話も思い出して得意になっていた。
だが、金が無くなって1週間まともな食事が出来なかった。
アパートも米もあり、貧困と言うには申し訳ないのだが、だけど、たかがそんな状況で、俺は食うことだけを考えている自分に愕然とした。
人間、悟っていたようなこと言っていても大したことないな?
自惚れていた自分が情けなくなり、笑ってしまった。
そんな自分を救ってくれたのは「兄貴」であった。
「帰ってこないか?」
情けなくて涙が出たが、俺は家に帰った。
「5年で一人前になれなかったら、自決する」
背後を絶つと、人は生きられる。
以来20年、俺は建設現場で天職を見つけた。
だけど、今の仕事も更に俺の天職。
この歳になっても面白くてしょうが無い。
命の尽きるまでやってみるか !