お盆の、子供や孫達の来襲も過ぎ去り、また老夫婦2人の静かな生活に戻った。
老妻から満足そうなえ笑顔が消えない。 嬉しかったのだろう。 親兄弟の墓参り、ついでに自分の墓の墓参り? もなんか変なもんだ。ま、いいか !
今日は銀行さんの納涼会、大勢の人達で賑わっていた。 ただ、「納涼会」に背広姿で来られる人達のセンスに首をかしげる。以前、アロハを着ていったら、これもまた浮いてしまった。盛っちゃいけないんだ。
余興で素朴なダンスがあった。 うーーん、バックに「海」が欲しかったよな。
TVドラマに刺激されて「蜩の記」を読み返した。 もう一度読み返さないと、深みを理解できないようだ。
もう一つ、TVドラマ、というより武井咲に魅せられて「黒革の手帳」を探したけれど、書棚にも本屋にもなかった。
本屋をうろついていたら磯田道史「「司馬遼太郎」で学ぶ日本史」に出会ったが、相変わらず文字の上を目が泳いでいる。 ゆっくりと、メモを取りながら読まないと・・・ダメだなぁ・・・
「終戦」なのか「敗戦」なのか、戦後72年
お盆休みも今日で終わり。 珍しく涼しい夏が過ぎていく。
海を見ていると幸せになる。
海を見ていると、魂まで海に溶け込んでしまう。
海を見ていれば、何も要らなくなってしまった。
DNA に太古から組み込まれていた記憶が呼び戻されたのだろうか。
今年も雷音でバーベキューを楽しめた。 名和ちゃんに電話を入れ、元気そうな彼の声を聴いた。
嬉しかったなぁ・・・。
生きているとは何なのか?
何時もこんな糞坊主みたいな問を発し、答えが出ない。
要は、流れる時間の中に漂っている、ということ、なのかな?
このお盆、菩提寺の住職と墓の前で酒を飲むことを企んでいる。 酒は原酒造の「蔵の至宝」純米大吟醸10年秘蔵酒とある。 中越沖地震の時、難を逃れた1本の樽の酒。
楽しみにしている。
8月4日(金)、長岡で清水亮氏の、「よくわかる人工知能」セミナーが開かれ、聴講してきた。
帰ってきてから同名の彼の本を拾い読みしてみた。
あとがきに
「未来を生きようとした時に、2つの選択肢がある。 1つは変化を畏れ、過去の価値観にすがって穏やかな死を待つこと。 もう一つは、変化に立ち向かい、それを乗りこなすべく、傷つきながらも前に進もうともがき続けること」
俺の失敗の連続には、そんな意味があったのか?