沢木耕太郎
文春新年号「高倉健 最後の手記」に寄せられた「深い海の底に-高倉さんの死」という寄稿を読んで、久し振りに沢木を読みたくなった。
小説の舞台となっているマカオも懐かしいけれど、物語のスタートが返還前日の香港、あの歴史的な事件の前後6日間を、自分の体験ではないような記憶が蘇る。
ペニュンシュラの一室で、チャールズが式典会場を離れる目撃していたのだけれど・・・。
カウントダウンの一瞬を、期待を込めて群衆に交じっていたのだけれど、静かに時は流れて行ってしまったのを思い出す。
今日は雨っぽい雪。
空は少し明るくなってきたのかな。
古い昔のことを、同時に思い出している。
北条の深沢から広田に向けて、船岡山を崩して道を作る工事。山の下に染み出す湧き水を集めるために「蛇籠」に詰める玉石を、背中の籠に入れて雪道を運んでいた。来る日も来る日も、2ケ月くらい雪空が続き、俺は何をやってんだろうと、本当に暗い気持ちに落ち込んだ時期があった。
あれから50年近くが経つ。
窓に、陽が差してきた。
雪の降る街・・・
雪の降る街を・・・
じょんのび村からの帰り道、前後の脈絡もなく歌を歌い始めていた。
雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る街を
遠い国から おちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日か包まん
あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ
歌詞はほとんど忘れているけれど、メロディは消えない。
なんで、突発性記憶回復が起きたのかなぁ・・・。
思い当たるのは文春新年号に掲載された沢木耕太郎の「深い海の底に−高倉さんの死」に、妻であった江利チエミが童謡を歌うシーンを思い出していたのだろう、と思う。
窓から雪景色を見つめていると、得体の知れない悲しみが襲ってきた。
今、ロスラテーノスの「太陽への道」を引っ張り出して聴いている。
おおらかで暖かい、アンデスの心が伝わってくる。
生きる希望は深い悲しみの中に築かれるものなんだろう。
第1回公判
天下のNECを起訴した第1回公判が東京地裁で始まった。
普通、裁判所なんて入ることがないので、態度に似合わず緊張していたらしい。
初回なので顔見せ的な儀式で予定時間は10分、それが5分程度で終わった。
でも、疲れたぁ・・・。
後は弁護士に身も心も預けて、結審を待つのみ。
根性 !
後藤武士 「読むだけで・・・・」シリーズ
雪が降り続いている。
最近、後藤武士の「読むだけですっかりわかる」歴史シリーズに浸っている。宝島文庫。
歴史に対する視点が、今まで読んだどんな著者よりも明確ですっきりしているように思う。
「右寄り」が安心なのかな・・・。