沖縄のあと
沖縄の旅から帰って慌しい1週間が過ぎた。
日曜日の帰宅だったから今週は痺れた。どうも、週末がドッシリしていないと次の週は心が落ち着かないようだ。
自己責任とは言え、周に3つの夜の会は堪える。意識は朦朧として行動と言葉に気魄とヤクザ性が籠らなくなる。もう少し精進が必要なようだ。
昨日は疲れてボロボロになった身体を潮風温泉の長谷川プロに絶命するかと思うほど強力にほぐして貰い、今日は動かれずに一日ベッドの中。
惰眠の間に「下天を謀る」上・下を読み通した。
老後の楽しみにと、ベッド脇に20インチテレビとDVD/BLのシステムと随分前に買え置いたホームシアター設備を付けて貰い、弄って使い方を覚えたのも楽しかった。機械ものをいじっていると楽しくて子供染みてくるんだなぁ。
でも、何か不思議な充実感が漂い、久し振りにウキウキしている。
愛用のスタンドを直してもらったのも一因。和紙を通してくる光は自分の心を和らげてくれる。
来週は「おぢや風船一揆」34回目。楽しみだ。
沖縄の風
沖縄の旅をしてきた。
肩こりが酷く、ハリ師とマッサージ師に「生き方を変えろ」と忠告され、雪の世界から南の風の中へ身を置く事で少しは良くなるかと思った。友人は1ケ月くらい温泉療養に出ろ、そのくらい留守にしても大丈夫な会社でなければそれだけの会社でしかない、とも。魅力的な話だ。
石垣島に移り住んだ知人も居たりして、どんな所か見たかったことや、辺野古も実際に自分の目で見てみたかった。
たまたま石垣島でタクシーの運転手が島で最大手のタクシー会社の常務取締役で、乗務員の管理や経営上自分で最前線に出ることが一番良いとの考え方の人で、知識も人間的にも凄く魅力的な人だった。そんな人を娑婆が放って置く訳も無く、テレビの番組にもいろいろ狩り出されているとか。石垣島が一段と魅力的になってきた。
沖縄本島は最悪。ホテルは辺鄙な山の中だし、オマケに雨。
それでも名護の辺野古、米軍基地の移設問題で話題のキャンプ・シュワブを見に行ってきた。曇り空で海は暗く、本当の姿が見えなかった。沖縄の重さは、そんなに簡単にわからない。
なにやらイライラの連続で、新潟空港からの帰路、白い飯豊連峰と平野が見えたとき、不意に涙が出てしまった。
人間、生まれたからには「生命」を使い切れ、とドラマの中で龍馬の父が言っていた。男は何がしかのことをやり遂げる為にこの世に生を受けてきたののかも知れない。
人生も、そんなに簡単にはわからないのだろう。
立春
銀行の新年会は様々な出会いの場でもある。
めったに顔を合わせることもない旧知の人たちと近況を語り合う、それもまた一つの楽しみ。
ふらつく足で帰宅の車から降りると、満天に星が輝いている。文字通り、凍りつくような寒さの中で空を見上げ、不思議な、懐かしい想いが心に漣を立てて過ぎ去って行く。
最近、何気ない日常の風景が、不意に涙が出そうなほど懐かしく見えることがある。何でだろう?
今日は立春。
昨夜の新潟は吹雪で、朝電話したら50センチほど積もっていたと言う。柏崎は青空だよ、と少し得意な声で答えている自分がいた。
酒が続いて、流石にバテ加減 !
少しゆっくりする時間が欲しい。来週は沖縄に行ってこようと思う。何となく、「オキナワ」を感じたくなっている。あそこには現代史がある。自分に何が出来るという期待もないが、ただ「感じる」為に行動することも無為なことではない、と誰かが言っていた。信じてみよう。