地球外生命体 ?
何の因果か、咳き込みが止まらない。少しづつは楽になっているのだろうが、呼吸困難になり、やっとのことで喉の隙間から空気が体内に取り込まれるとホッとする。
別に今更命が惜しいとは思わないが目を白黒させて喘いでいる姿はカッコいいものではない。酒を止めているせいで、免疫力が弱っている・・・そんな言い訳もしたくなる。
まぁ、災難に遭う時には遭うがよろしかろう、死ぬる時には死ぬが宜しかろう、と良寛は言ったという。自然災害は避けることは出来ないし、生老病死、人間には避けられない労苦はある。
そんなこんなで7.16が近づいてきた。
昨年末の追悼と復興祈願の花火が季節風で取止めになり、改めて地震一周年の7.16に上げることになっている。青年会議所のイベントと組んで海岸で250発の花火が夏の夜空に開く予定だ。みんなの願いが天に届いて欲しい。
ネタが少ないのか、連日新聞やテレビ放映の取材を受けている。素直に自分の気持ちを表せる言葉が見つからないまま、時間だけが過ぎていく。全ては時が解決する、か。
夕方、加納の医者ドン、2番目の義兄なのだが、に患者に化けて診察を受けてきた。まぁね時間が掛かるかな、と。薬を貰って自宅に着いたら追っかけ電話が来て、薬を変えてみようということになった。自宅内でペットを飼っている人特有の咳かも知れない、ということらしい。そういえば社内で同じような咳をしている社員はみんな犬を飼っている・・・もしや・・・カモシレナイ。
酒を飲むことにも効果があるのだろうとは思うのだが・・・。
点滴と毒キノコ
相変わらず咳が止まらず、咳込みが始まると目の前が真っ白になり意識が遠のいてゆく・・・なかなか得がたい経験だ。医者に診て貰ったら「そのうち治るでしょう」みたいな、顧客満足度ゼロの診察で、それに付き合うことにした。
しかしまぁ、咳込みって疲れるねー、会社で壁にもたれて咳き込んでいるとホントに急に年を感じる
今日も4歳年上の人を見送ってきた。医者で、幅広い活動と多趣味な人で柏崎文化人の典型みたいな人。段々友達が少なくなってゆく。寂しい限りだが・・・これも全て運命。
彼の話の中で、友人と点滴を打ちながら毒キノコを食っていた話は絶品だった。次第に自分がおかしくなって行くのがわかるのだそうだ。一度その仲間になってみたかった。
「愛」というもの
昨日は新潟県異業種交流センター中越支部主催のシンポジューム「震災を乗り越えて 中越の未来予想図 10年後をどうするか」が開かれ、元新潟県知事平山征夫さんの基調演説の後、知事と西川副会頭、そして俺、震災復興計画策定委員会副委員長の立場でパネルディスカッションに入った。
主題は地震後の原発に堂取り組むか、ということに尽きるが、詳細はともかく結構ホットないい議論だったと自我自賛している。
シンポは議論を巻き起こす場所で結論を導き出すところではない。コーディネーターが悪いと各パネラーが好きなことを喋って、欲求不満の塊みたいになって壇上を去るのだが、今回は今後の議論の方向付けが出来たのではないかと思っている。その意味で、いい会に参加させて貰ってありがたかった。
「愛」とは何か
あるがままの、そのすべてを受け入れ、愛しむこと。
その地域に対しても、人に対しても。
絶望の先に未来がある。
最近咳き込みが酷くて、一時的に酸欠状態をおこすのか目の前がぼやけ現実感を失う。車を運転している時は切ない。車列がある時はおぼろげな前の車の後を追えばいいのだが、大きな咳が曲り角の時は悲惨、先の見えぬままハンドルを必死に切るのだが、今日は間に合わず交通標識に激突、左のフロント部分を小破してしまった。ショック。
どうもこの車は相性が読まないようだ。小規模ながら短期間に4,5回修理に出している。祟りがあるのかな?
20年の疲れがほとぼり出したように噴出している。まだもう少し死ぬことはないだろうが・・・。自分なりの生き方が出来なくなり「自死」を選ぶ人も増えてきているが、それもどうかと思うし、もう少ししぶとくてもいいのだろう。