冬の晴れ間に

2009年01月29日 風の戯言


 「てぇへんだぁ、大変だぁ!」と慌てふためいている内に2009年の1月も終わりに近づき、21期の会社決算が閉じる。
 休日も気が晴れず、一年中何をしていたのか思い浮かべると、内心忸怩たるものがある。この時期、思い通りの経営ができる方が珍しいのだろうが、自分の行為を自画自賛している人たちを見るとフクザツになる。自虐趣味かな?

 冬の晴れ間。
 暖冬、という言葉も死語に近くなった気もするが、雪の少ない冬は助かる。3メートルの雪に沈んでいた頃の、あの潰される様な毎日は、今は遠い記憶の中に鎮まっている。

かけがえのないもの

2009年01月26日 風の戯言


 養老孟司「かけがえのないもの」(新潮文庫)をメモを取るヒマのないままのめり込んでしまった。
 何時も意表を突いた、それでいて全うな着想と理論に基づいた氏の本は楽しい。
 かけがえのないもの・・・それは自然であり、子供であり、身体だという。予測のつかないそれらとの付き合いを忘れてしまい、都市化の中で結果を予測し、目標を掲げ評価を求めて生きる生き方は詰らない、という。「ああすれば、こうなる」という未来を先取りした予測できる生き方に何の感動があるのか。
 ブータンではGNPではなくGNH(ハッピネス=国民総幸福度)を追求する、と若くて面白い国王はそう言っているそうだ。
 人間が作ったものは信用してはいけない・・・とも。

 現代経済社会に住むものは、時には風の旅人になる必要があるようだ。言葉の通じない世界へ、一人フラフラと遊び、再生してまた働くことも良し、だね。
 最近、リタイヤしたり解雇された人たちが四国八十八箇所お遍路さんの旅に出たがる。こびり付いた不浄なものをさっぱりと清めてくるのも人生の大切な時間、ですよ。

 今年の冬は天気予報も当てにならず、思いっきり気まぐれの季節が過ぎていく。加納の医者どんの葬式が済んで、ジワリ喪失感が押し寄せてくる。

 かけがえのないもの、とは、自ら選ぶから「かけがえのない人生」であって、それは「かけがえのない未来のこと」
 「誰かの為の人生」なんてウザッタクテ、ほんのり暖かくて、最高の価値あるもののように思える。

オバマの時代の幕開け

2009年01月20日 風の戯言

 義兄藍沢悌三郎医師が亡くなった。享年92歳、今日が誕生日。
 中鯖石で三代100年、地域の健康を護り続けた。具合の芳しくない時に聴診器を当ててもらい「大丈夫!」の一言でどれだけ多くの人たちが助かったか。医は仁術、だと思う。

 間もなく「オバマ大統領」が誕生する。
 アメリカの歴史を見たときに、黒人大統領の出現が如何に大きな「事件」なのか、思い至る。キリスト教原理主義者の集団、自分達の神を信ずる者だけが「人」であり、その限りにおいて平等であり、自由が許される一神教の国。
 アメリカの価値観を世界中に布教した結果、唯一の超大国が相対的に国力を落とし、「多極化」した世界の現実に直面したアメリカの夢、もう一度世界最強に戻りたいという願いと、イラクで傷つき普通の国に戻りたいという願いが交錯し混在する夢を、新しい大統領に、自分達の救いとを重ね合わせて、間もなく世界最大のお祭りが始まる。
 キング牧師の「私には夢がある」という1963年の演説が、今も感動の高圧電流を流し続けている。40数年の間に「夢」を実現させたアメリカという国に改めて驚嘆する。
 日本に、こんな演説が出来る政治家が現れないかな・・・。

 幻想なのだろうが、唯一の強大国の時代から、多極化の時代へ。これは国際政治の舞台だけでなく企業の現実認識の変更を迫られている問題でもある。独立自尊の組織として、自分達の夢を掲げ、見えざる現実を凝視して生き抜く。お手手繋いでお池に嵌って、再起のチャンスもない奈落に落して溜まるものか。
 オバマの底知れぬ真実を知りたいと思う。

新潟県経営品質賞 審査終了

2009年01月18日 風の戯言


 新潟県経営品質賞審査が終わり、ホッとしている。
 賞が欲しいことは真実だが、本当の狙いは経営の存続にある。継続とか改革とか、そんな生易しいものじゃない。文字通りの生きるか死ぬかの瀬戸際を進むことになるのだろう。GDPが10%下がるという見通しもある。経済的大断層!
 そんな危機の中で、ホッとしていることも確かだ。自分がやらなくてはならない「経営」の方向が見えてきたからだろう。方向が見え、決断の覚悟さえ出来れば、心は静まる。
 「リーマン・ショック」後で、アメリカの殆どの会社が12月決算で、2月までは「漠然とした不安要素」を抱え、それが3月末には「はっきりした損失」として明確になってくるだろう、といわれている。明確になればあとは今後の方針を決定し、前に進むのみ。半年後には株価が安定し、1年後には実体経済が回復してくるだろう、という。果たしてそうか?
 20日のオバマ政権がどんな効果を生むのか、アメリカ人でなくても気になる。

 本当に、久し振りに気持ちの安らぐ休みだった。多分、禅の世界とはこんな心境なのかもしれない。戦いの中にあって、己の運命を天に預けたようで爽快なのだ。
 阪神淡路が記憶の中で遠くなっている。時間とは何だろう?
 

雪の降る街を

2009年01月12日 風の戯言


 シンシンと、雪が降り始めた。
 寝ようとしたが、気になってアノラックを被りデジカメを片手に公園の道路まで行って来た。ふっと、「雪の降る街を」が身体の何処かで流れ出した。何か、切ない思いが湧き出してくる。 
 1952年にヒットした内村直也作詞、中田喜直作曲の歌だ、そうな。1952年・・・昭和27年・・・そっか、親父の死んだ年だ。
 10歳の俺がそこにいる。次々に親達は逝ってしまい、死ぬということは「どこにもいなくなる」ということだと、それが判るまでと、判ってからも、辛かったなぁ。消えてしまうような寂しさのなかに、いつも一人でいたような気がする。

 そして、みんないなくなってしまった。小林も竹田も中谷も・・・高木さんもいなくなった。医者どんも十三郎先生も福田先生も・・・みーんないなくなった・・・寂しい・・・寂しいよ・・・。

(1) 雪の降る街を 雪の降る街を
  想い出だけが 通りすぎてゆく
  雪の降る街を
  遠い国から おちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ

(2) 雪の降る街を 雪の降る街を
  足音だけが 追いかけてゆく
  雪の降る街を
  一人心に 満ちてくる
  この哀しみを この哀しみを
  いつの日か解(ホグ)さん
  緑なす春の日の そよかぜ

(3) 雪の降る街を 雪の降る街を
  息吹とともに こみあげてくる
  雪の降る街を
  だれも分らぬ わが心
  この空(ムナ)しさを この空しさを
  いつの日か祈らん
  新しき光ふる 鐘の音