月夜の晩に雪が降る
新潟県経営品質賞のヒアリングシートの記入と送付が終わり、後は15,16,17日の現地審査を待つばかり。
いろいろ振り返ると、恥じ入る事ばかりが多く落着かない。だから終わったことはもう考えないことにしよう。
まぁ、一段落、というところか。16日が本番なんだが・・・。
久し振りに使った脳をクールダウンさせようと窓の外を見たら寒々とした空に冷たい月が輝いている。予報では大雪かと思われたが、積雪は10センチにも満たない。
天気予報は外れた時のブーイングを嫌ってか、正確なものより極端に悪い予報を出しているようだ。変なの !
それにしても雪のない冬は助かる。地球温暖化? 単なる地球の気候変動に過ぎないという見方もある。多分そうだろう。最近は作為ある情報が組織的に流されることも多いようだ。時が過ぎて、真実が明らかになる。未来予測の本を、10年くらい過ぎて読むと著者の技量が見えてくることがある。大前研一の「新・資本論」もその意味で楽しい。
出来ることなら、ゆっくりと時間をかけて、メモを取りながらの読書をしてみたい。目の前を、風に舞う落ち葉のように、文字だけがただひらひらと通り過ぎて行く。頭の中に何も残っていない。あー、嫌だ嫌だ。
年の瀬
27日から年末年始休暇に入り、自堕落で不摂生な生活を楽しんでいる。とはいいながら経営品質の審査が16日に控えているので明日から回答案を準備しなくちゃならん。
経営に対する取り組みの審査、ったって突然巨大彗星が激突したような経済状態の「緊急事態をどう乗り切るか」が喫緊の課題であって、今更教科書的な論を振り回されるのか、少し心配だ。
娘の子供が4ケ月を過ぎて、首も座り彼女の笑顔と笑い声が人の心を掻き毟るようになった。子供と遊ぶのが好きなので、人の子でもみんな懐いてしまう。特技だね。
今年の雪は早く、少し脅されたが今のところ問題なし。
昨年は追悼と復興祈願の花火を揚げるために暴風雨の中を駆けずり回っていた・・・馬鹿みたいだけど、今は「熱い」思い出・・・シアワセな夢の宴でした。
論語
「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」
この「朋」は、志が一緒で信頼しあっている親友、のことだと知らなかった。無学とは切ないことだ、とつくづくと思った。
「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う」
人様の前で、一丁前に「コミュニケーションが大切」なんて話をしながら人を知る努力も何もしていなかったように思う。なんて言いながら「馬鹿にゃ付き合いきれん!」と怒り狂っている。「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」。所詮、人は理解し合えないし、その前提で社会の仕組みと人生は成り立っているのだろう。
以上週刊誌からの知識。もう一つ「正論には裏がある」。世の中、尤もらしい言葉に気をつけよう、ってことか?
午前中、ずっと行きそびれていた高田の菊間さん家に行って来れた。今年の元日に自宅で亡くなられたのにお参りに行けないまま一年が過ぎようとしていた。突然の訪問にも拘らず小母さんと長男夫婦が居られ、お線香を上げさせていただいた。堪えても堪えても、涙が止まらない。
高校3年生の時、一年間下宿させて貰った家なのだが、思えばあの時から自分の人生が始まったようにしか思えない。全ては神の導きのままに、自分ではない何かに突き動かされるままに生きてきたようにしか思えない。だからどんな岐路も、後で考えると全てが「良かったこと」として受け入れられるのです。
帰り「ゆう文舎」に寄り笹の葉のアートを見てきた。サさのはを丸めたものを並べただけなのに、不思議な空間が生まれる。21世紀の感性?
世界のトヨタが昨年の営業利益2兆2700億円から来年3月予測は1500億円の赤字だそうだ。中小企業の小賢しい経営努力の意志を、一瞬にして凍らせてしまう様な圧倒的な現実感がある。
世の中は「超バブルの崩壊」で暫らく辛い年が続くのだろう。希望に満ちた本当の21世紀はもう10年遅れて、やっとやってくるのかも知れない。負けちゃあ、いられない!
どんな苦難だって、大東亜戦争の時の昭和20年前後の御苦労に比べれば「大したことないって!」
「明日は昨日より明るく希望に満ちているはず!」という言葉を信じ、老体にムチ打って、己の道を歩きとおさねばならん、なった。気を付けろ! 石塚修は鬼になったぞぉ!