冬至

2008年12月21日 風の戯言


 浅田次郎の最新短編集「夕映え天使」に収録された「特別な一日」はこの現状で読むのに「特別な」意味があるように思える。淡々と語られる「日常的な」退職の日が、実は超巨大高速衛星「MHC」の衝突の日であるという設定が次第に明らかになって行く。「特別な日」を特別な日でなくするために、ありふれた日常的な日にする、そう覚悟して生きる「特別な日」。浅田次郎の短編は、何時も滑稽で、何時も切ない。感動することを自己抑制した、その方が楽に生きられるからだが、人生の中で忘れてきたことを思い出させる。

 ジョージ・ソロスのいう「超バブルの崩壊」が始まろうとしている。心配された「環境問題」も吹っ飛ぶほどの社会経済の混乱が起きるのだろうけれど、「明日は昨日よりも明るく希望に満ちているはず」という言葉を信じ、また前のめりに生きていくしか手はないのだろう。立ち止まって傍観する・・そうは出来そうもない。

 今日は冬至。雪国では望むべくもない晴天で、近くの鯖石川の堤防を小一時間ほど妻とランと3人で歩いた。素晴らしい環境で生活させて貰っていることに感謝。静かなこの風景は天からの贈り物に違いない、と思う。冬至、明日から少しづつ明るい時間が増えて行く。

世界同時直下型大不況

2008年12月17日 風の戯言


 ニュースメディアを見ていると、確かに世界は一体となって息づいているのだ、とつくづくと感じる。FRBがゼロ金利に踏み切った、手札はもう何もない。明日、日銀はどんな決断をするのだろう。明確なリーダーを持たず、世界中がカオスの世界に吸い込まれていく。
 どんな苦難の時代にも、人が生きている以上108の煩悩がなくなるわけじゃなし、商売のネタは尽きないだろうとタカを括っているが、生き延びるには相当の情報力と決断力が要るようになるだろう。ニュースから目が離せない。

 閑話休題
 加治将一の「舞い降りた天皇」は楽しい古代史だ。原田常冶の「古代日本正史」、「上代日本正史」も面白かったが現地調査と文献の読み込み、構想力は多分現代の古代史を書き換える迫力がある。小説仕立てだけれど、これも新手の読者サービスか?

 現代も古代も、夫々の時代を必死に生きた、いや生きている人や自分がいる。どんな日常を暮らしていたのか、瞑想を巡らせるのも楽しい時間だ。

高木正幹さん逝く

2008年12月14日 風の戯言


 門出のかやぶきの里でドブロクを呷り、新そばにのめり込んでいた時に高木正幹さんの訃報が入った。
 何を言っても、何を書いても・・・全てが空虚な気がする。この業界の、俺の親父的存在・・・。

寒山

2008年12月08日 風の戯言


 週刊文春12月11日号に細川護熙が寒山の詩を紹介していた。

 茅棟 野人の居
 門前 車馬疎なり
 林は幽かにして偏に鳥を聚め
 峪潤くして本より魚を蔵す
 山果 児を携えて摘み
 阜田 婦と共に鋤く
 家中 何のあるところぞ
 唯だ1床の書あるのみ

 俗世を離れた晴耕雨読の田舎暮らし。南宋の画のようだ。藍沢南城の「南条村」と重なり、穏やかな時間が過ぎて行く。
 12月、晴れた日の青空は何にも勝る。

金星と木星の接近

2008年12月07日 風の戯言


 12月1日かな、金星と月ともう一つの星が南西の空に輝き、普段見ない星の配列の綺麗さに自慢のカメラのシャッターを切った。残念ながら望遠もなければ、確たる三脚もなく、ましてカメラの知識も、そもそもなんでこんな星空になるのか判らないままにシャッターを押した。で取れた写真がこれ!
 星空のウンチクを語れれば、俺がピアノを弾けたより素晴らしい恋に巡り会えたのだろうが・・・酒呑んで大法螺吹くしか能のない身には、悲しすぎるほどの縁遠い話・・・だ。

 冬の夜空は時折夢の世界に誘ってくれる。月と星と・・・俺はイスラムになったような高揚感がした。